物語が始まる場所<おばあさんの知恵袋> 三田村慶春さんインタビュー

不思議な本屋の不思議なおじいさん

この記事は約10分で読めます by 笠原桃華

日常から一転して冒険がはじまるような物語には、いつだって不思議な入り口があります。『ハリー・ポッター』なら9 1/4番線、『ナルニア物語』ならクローゼットの奥の方、『はてしない物語』ならあかがね色の本…。
そのうちのひとつとして出てきても遜色ないようなお店、それが<おばあさんの知恵袋>です。国分寺駅すぐそばにありながら、なかなか見つけられないブックカフェ。もしその入り口を見つけたならきっと物語を予感してしまうはず…。

ひみつの国分寺

国分寺駅南口から徒歩2分のところにあるブックカフェ<おばあさんの知恵袋>。このお店をやっていらっしゃる三田村さんにインタビューさせていただきます。三田村さん、よろしくお願いします。

笠原

三田村慶春と申します。よろしくお願いします。

三田村

本屋でもありカフェでもあり、子どもが遊びに来たり大人の勉強会が開かれていたり。ある種のコミュニティスペースとしての機能も担っているのが<おばあさんの知恵袋>の不思議たるゆえんです。私自身もまだ詳しく知らないのですが…。

笠原

今日はなんでも聞いてくださいね。

三田村

ありがとうございます! こんなこと言うのもあれですけど、このお店に初めて入る時すごく勇気が必要でした。

笠原

たまに他のお客さんにも言われます(笑)

三田村

私が最初にこのお店を訪れたのは3年前だったかな。お店自体が半地下みたいな場所にあるので、そもそも見つけにくいんです。表の通りにはちょっとした張り紙があるだけ。それもあってなかなか気付かず、この辺りに越してきてから2年後くらいにやっと扉を開けました…(笑)

笠原

5年も10年も店の前をウロウロして、ずっと「いつ入ろうかな」と思ってたって話してくださった方もいらっしゃいますよ(笑) それで実際に入ってみたら「な〜んだ、こんな気さくな店ならもっと早くきてれば良かった!」って。

三田村

私もまさにそんな感じでした! いざ入ってみると、ホッとする場所だとわかっていい意味でびっくり。

笠原

そう言っていただけるのはうれしいですね。

三田村

それに三田村さんご自身がとっても多才でいらしゃるので、話題が尽きないんです。博識でいらっしゃって、勉強にもなります。そんな三田村さんとこのお店について、今日は詳しくお話をうかがいたいと思います。

笠原

おじいさんがやっているのに、なぜ<おばあさんの知恵袋>?

書店として<おばあさんの知恵袋>っていう名前にしたのは?

常松

母のアイディアです。もともと、ここは亡くなった母と一緒にやっていたんですよ。

三田村

ああ、それで「おばあさん」なんですね。

常松

はい。でも本屋になる前、つまり今から20年ぐらい前まではドイツ料理屋をやっていました。

三田村

何で本屋さんになったのですか?

常松

ある日母が脳梗塞で倒れてしまって、もう火を扱えなってしまったんです。それで、「本屋をやったらどうだろう」って。

三田村

そうだったんですか。ここは子ども向けの本を専門に扱われていらっしゃいますが、なぜ子ども向けの本専門の本屋さんにしようと思われたのでしょう?

笠原

当時私は図書館で働いていて児童書を扱っていましたから、それが理由の一つです。それから、いざ母が元気になって店番するとなった時に大人向けの本だったらジャンルの幅が広くて大変だろうと思ったというのもあります。

三田村

なるほど、確かに専門書とか扱い出したらキリがなさそうですね。

笠原

そう。それで「絵本の店にしようか」って母に言ったら賛成してもらえたので店の名前を考え始めたんです。そしたら母が「年寄りの知恵を使えるような店がいいね」って言うので、「じゃあ、<おばあさんの知恵袋>にしよう」となってこの名前になりました。

三田村

私最初にきた時、「おじいさんがやっているのに何で<おばあさんの知恵袋>なんだろう?」って思ったんですよね。お母様との思い出があったんですね。

笠原

そうですね。それからアフリカには「おばあさんが1人亡くなると、図書館が1つなくなったようなものだ」というような諺があるんですよ。おじいさんが亡くなってもあんまり知恵は残さないけど、おばあさんが亡くなると知恵もなくなるって(笑)

三田村

そんな諺があるんですね、なんかちょっとおじいさんが切ないような(笑) ちなみにいつ絵本屋さんになったんですか。

笠原

2002年だったかな。今から12年前に公務員を定年退職して、退職金があったもんですからそれで改装しました。レストラン時代にも本棚があって、そこに並べてる本は販売してたんですけどね。

三田村

外観もすごくおしゃれですよね。上の窓のステンドグラスもとっても綺麗ですし。

常松

ありがとうございます。作るときにまず考えたのが、『三匹のこぶた』の話。藁で作ったら吹き飛ばされちゃうし、木で作ったのも壊されちゃった。でも末のこぶたちゃんは頑丈なレンガで作ったから大丈夫だった。同様に古代ローマや古代ギリシャのコロッセオ、他にも神殿だとか、煉瓦造りのものは今でも残ってますでしょ。石造りにすれば長く保つだろうなということでレンガにしました。

三田村

ああ、じゃあこれ本当のレンガなんですね。表面だけではなくて。

常松

そうですよ、これは本当です。東京芸大と武蔵野美大の彫刻科を出た方たちにデザイン案だけ渡して「このように作ってください」ってお願いしたんですよ。中にある本棚も12年前に母が亡くなってリニューアルしたとき、こうして私がスケッチしたものを内装屋さんに見せてお願いしてね。

三田村

え、お上手ですね!!

笠原

ありがとう。最初の頃はまだ手の届くところまでしか棚がなかったんですよ。でもギリシャのアテネに行ったときに、ソクラテスやプラトンが学んだ「アカデミア」ではこれの3倍ぐらいの高さの棚があってね。「じゃあ東京に帰ったら、天井まで棚作っちゃえ!」ってことでまたお願いして、天井まで作ってもらったんです。

三田村

一番上にある本は物語関係の資料です。このお店、実は物語研究の事務所にもなっているんです。だから全国の物語研究者たちがうちに調べものをしに来たりもするんですよ。

三田村

そうなんですか。図書館的な役割も担ってるんですね。

笠原

だから私達の先生から預かった本なんかも置いてありますよ。

三田村

不思議なおじいさんの経歴

三田村さんは本当にいろんなことをされていらっしゃるので、どこから聞いて良いのやら…。もし差し支えなければご経歴を教えていただきたいなと思っています。

笠原

もちろんいいですよ。昭和24年(1949)のお正月生まれで、「よしはる」という名前がつけられました。3歳までは琵琶湖のそばで育って、父の転勤で北九州市に移りました。

三田村

お正月生まれなんですね! 大学入学で上京するまではずっと九州に?

笠原

そうです。小学校4年の時、カトリックの学校に転入することになったんです。でも私はご覧の通り身体がそんなに大きくありませんでしょ。だから放課後にサッカーなどするということもなく、図書館で本を読んでいるような子供でした。それに家にはあと3人兄弟がいたこともあって、放課後は家にすぐは帰らずに図書館で時間を過ごしていたんです。

三田村

図書館でご自分の時間を確保されていたのですね。

笠原

通っていたのが私立だということもあって、図書館設備はすごかったんですよ。地下もある三階建ての図書館。それにカナダ系のカトリック学校だったので、毎月のようにカナダやアメリカから絵本や雑誌が送られてくるのが魅力的でした。もちろん英語で書かれていたものですから、辞書を引きながら読んでいました。

三田村

小学4年生で辞書引きながら英語の読み物ですか!

笠原

ええ、そうです。私は途中編入でしたけれど、1年生からいる生徒はみんな外国語ができましたよ。修道女たちから習っていますから。

三田村

身近に外国語があったんですね。

笠原

そうです。そんな環境にいたので、「違う国の人たちの言葉を知るのはなんておもしろいんだろう!」と思ったわけです。当時キリスト教系の中学を卒業すると、男の子であれば高校は無いので進むとしたら神学校でした。でも進学したかったので一般受験をして高校は公立に入ったんです。でも最初、高校は本当につまらなかった。

三田村

つまらなかった?

笠原

みなさん受験勉強ばっかしていたから。元々私がいたカトリックの学校では、自由に好きなことをさせてくれる風土だったんです。ところが公立の高校というものはある程度ルールがある。

三田村

あ〜、それは今もきっとそうでしょうね。

笠原

それで「こんなおもしろくない学校に3年間いるなんてもったいない! 何をしたらおもしろくなるんだろう?」って考えて、「ルールを変えたら良いんだ!」と思ったわけです。

三田村

ルールを破るんじゃなくて、変えちゃうんですね。裏を突いてくる発想、良いですね(笑)

笠原

そう(笑) 生徒手帳の後ろに生徒会規約ってのがありますよね。例えば女子はスカート丈何センチだとか、靴は何を履かなくちゃいけないだとか。もっと自分たちが自主的に作った規約ができれば、この学校のアイデンティティが深まるんじゃ無いかと思ったの。それで5人くらいで集まって、1年間かけて1〜60条くらいまで規約を書き換えました。

三田村

通りました?

笠原

1年後に職員会議で審議にかけてもらって、先生方にも「いいじゃ無いの」と認めてもらえたんですよ。

三田村

意外と職員も柔軟なんですね〜。

笠原

はい。そんな中ね、「大学はどこにしようか」と考えていました。美術部だったので先輩から「美大に来ないか」というお誘いもあったのですが、ちょうどベトナム戦争が始まっていて、私は北九州にいましたから米軍のジェット機が落ちてきたりと色々ある時期でした。だから美大でキャンバスの上に絵を描いているのは違うんじゃないかと思っていた。

三田村

当時は学生運動も盛んな時代ですよね。

常松

そうですね。それで小中学校で修道女たちが話していたフランス語に関心があったこともあって、明治大学のフランス語学科に入りました。大学時代は学校より喫茶店の方にたくさん行ってましたけどね(笑)

三田村

僕もそんな感じでした(笑)

常松

本屋から公務員に

それから大学3年くらいになって就職先を考え始めたのですが、ちょうど同じ大学の先輩から「本屋開くから一緒にやろうじゃないか」と誘われたので、この国分寺のアンティーク・アヴェニューに本屋を開くことにしました。当時は学生運動が盛んでしたから、思想の本もたくさん揃えていましたね。

三田村

アンティーク・アベニューってこのお店のある通りですよね? 結構昔からあるんですね!

笠原

そうです。今のこの場所から右に何軒かずれた、ちょうど今も古本屋さん(古書 まどそら堂)があるところでやってました。

三田村

何年前ですか?

常松

本屋を開いたのは1972年です。約50年前ですね。以来ずっとこの辺りにいるんですけれども(笑)

三田村

昔から文化の発信地だったんですね。

常松

学生街なのでね。私は国立にアパートがあったものですから、国分寺は行きやすかったということもあって先輩の誘いに応じました。思想の本でも、演劇だとか哲学だとか、普通の本屋には無いような本を集めているような本屋でした。

三田村

なんていうお名前だったんですか?

笠原

フランス語で“Avant”です。<Avant 書房>です。「前へ」という意味です。

三田村

どのくらいやっていらしたんですか?

笠原

2~3年やりましたね。でも正直なところ、書店の方でそんなに給料があるわけではなかったんですよ。そんな中、1974年に「公務員試験を受けてみないか」と声をかけられて、受けてみたんです。お隣の小金井市の教育委員会の仕事です。1日目が筆記試験と小論文で、それに通ると2日目に面接試験でした。180人中2人しか通らない試験でした。

三田村

教育委員会なんてお堅そう…。

笠原

人事課長など色々な人が並んでいてね、みんなスーツなんですよ。受験者もみんな真っ黒いリクルートスーツを着ていました。それなのに私は上下水色のジーンズで行ったんですよ。

三田村

スーツ持ってなかったんですか?

笠原

ううん、持ってた(笑) 面接官にも「君はスーツもってないの?」と聞かれて、「いえ、持っています」と答えて、「なんでそれ着てこないの?」と言われて、「いや僕は絵を描いていますので、こういう場でも自分の普段のスタイルを見ていただこうと思いまして…」と答えたりしていたんだけれど、その会話のキャッチボールが楽しくてね。

三田村

通るやつですね(笑)

笠原

そう(笑) で、10日くらいしたら「三田村さん、明日から役所の方にきていただけますか」と言われたんですよ。「じゃあ行きます」って、仕事が決まったの。

三田村

会話のテンポや話す内容とかって、色々なことがわかりますもんね。初めてこちらで三田村さんにお会いした時、話題の振り方がお上手と言うのか、人の心を掴むのがお上手だなと思いました。

笠原

普通に皆さんがやることをその通りにやるっていうよりは、世の中の皆さんがやっていることから「ちょっとここを変えたらおもしろいんじゃないかな」、「ここをちがった角度から見てみるとみんな幸せになるんじゃないかな」って。そういう発想があるからかもしれないですね。

三田村

「生徒手帳の規約変えちゃおう」時代から変わりませんね。とってもチャーミング(笑)

笠原

第2話では前身となったレストラン<船問屋>から、<おばあさんの知恵袋>ができるまでの歴史についてうかがいます。

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CREDIT

クレジット

執筆・編集
長野で野山を駆け回り、果物をもりもり食べ、育つ。お腹が空くと電池切れ。
聞き手
303 BOOKS(株式会社オフィス303)代表取締役。千葉県千葉市の埋めたて地出身。バイク雑誌、パズル雑誌を経て、児童書の編集者になる。本は読むものではなく、つくるものだと思っている。
撮影
某研究学園都市生まれ。音楽と東京ヤクルトスワローズが好き。最近は「ヴィブラフォンの入ったレアグルーヴ」というジャンルを集めて聴いている。