LGBTQ+「常識」を疑ってみる 中里虎鉄#1

”男らしさ・女らしさ”からの解放を

この記事は約15分で読めます by 笠原桃華

「女なんだから化粧くらいしろ」、「男なんだから悲しくても泣くな」。
私たちは生まれた時から、“男らしさ・女らしさ”という価値観にさらされてきたのでは無いでしょうか。こうした”当たり前”されている振る舞いは、全て社会的に形成されてきたものです。近年、多様な性のあり方が議論になる中で、こうした旧来の常識からの解放を求める運動も活発になってきました。
今回のインタビュイーは、自身の性を「ノンバイナリー」であると位置付ける中里虎鉄さん。フォトグラファーとしても活躍し、雑誌『IWAKAN』の編集者でもある、現在進行形の注目アーティスト。第1回では、中里さんのジェンダーアイデンティティーについてお話をうかがいます。

中里虎鉄(なかざと こてつ)
1996年、東京生まれ。フォトグラファー、エディター、コンテンツ制作など、肩書きにとらわれず多方面に表現し続けたいノンバイナリーギャル。出版社勤務を経て、独立。Creative Studio REINGから刊行された雑誌『IWAKAN』の編集制作も行う。自身のジェンダーやセクシュアリティにまつわる経験談や考えを発信している。
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男でも女でもない、「ノンバイナリー」

本日はお話をうかがう機会をいただき、ありがとうございます。よろしくお願いいたします!

常松

ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いいたします!

中里

虎鉄さんは、肩書きでいうとフォトグラファー兼エディターみたいな感じですかね。

常松

そうですね。

中里

雑誌『IWAKAN』やご自身のnoteで、LGBTQ+当事者の視点から発信されているんですよね。ご自身の性自認はいつごろだったのでしょうか?

常松

幼い頃から自分の性的指向には違和感を感じていました。服も、男女で色が決められていることに不満を持っていたし。でもセクシュアリティに関しては、高校生のときに男性を好きになって、そこからですね。

中里

LGBTQ+の、「+」からもわかるように、近年は少しづつ“性の多様性”が認知されるようになってきました。中里さんはご自身を「ノンバイナリー」だと定義づけられていますが、「ノンバイナリー」という言葉について、簡単にお聞きしてもよろしいでしょうか?

常松

ノンバイナリーというのは、生物学の男女二元論におさまらずに、自分を男でも女でもない、またどちらも持ち合わせている性別認識のことです。

中里

ノンバイナリー(non-binary)とは、(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現※に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティを指す。バイナリー(binary)は、「ジェンダーバイナリー(gender binary)=男性か女性の二択のみで、生物的性で性別を分類する見解」から来ている。これが無い、つまり男女二元論にとらわれないというのが、ノンバイナリーの意味するところ。
(参照:https://jobrainbow.jp/magazine/whatisnonbinary

そのようにとらえるようになったのは、何年くらい前ですか?

常松

2年前かな。多分2年前ですね。

中里

結構最近だ。

常松

そうですね。ずっと自分のこと男だと思っていたんですけど、体に違和感は無かったんです。ただ、男として扱われたり、男を求められたりすることには凄く抵抗感や違和感があって。「でも別に女性になりたいわけでもないんだけどな」みたいな感覚で、かといって男性でもない。「なんなんだろう?」みたいな。

中里

既存の型には当てはめることができなかったんですね。

笠原

そうです。カラダは男性だから男性なんだろうけど…と、ずっともやもやしていました。そのタイミングで海外アーティストの方が、自分のアイデンティティが「ノンバイナリー」だということをカミングアウトしたんです。それがきっかけで、その「ノンバイナリー」っていう定義が少しずつ議論の場に出てきた印象です。

中里

サム・スミスとかが発言していましたね。インスタグラムのアカウントにも、男女の区別を意味しない「They/Them」を使っていますよね。

笠原

主語が基本的に必須である英語圏では、自分に対して使ってほしい代名詞をSNSなどに明記する人が増えている。自身の性自認・性表現が「女性」の人に対して使われる「she/her」、「男性」の人に対して使われる「he/him」、女性・男性という枠組みに当てはまらない「ノンバイナリー」の人などに対して使われる「they/them」などがある。

今も、定義が「コレだ!」って厳密に決まってる感じではないんですけど、僕自身、「ノンバイナリーって、こういう感じだろうな」っていうことは感覚としてわかっていたので、それ以来「ノンバイナリー」という言葉を使って表現しています。自分の抽象的かつ流動的なジェンダーアイデンティティを人に説明するときに、やっぱり名前があることでしっかり伝えられるなと感じています。

中里

ジェンダー・セクシュアリティーの問題に詳しくない人たちからしたら、名前がついていた方が把握しやすい、というのはありそうですね。

笠原

でも別に、「自分はノンバイナリーである」というレッテルそれ自体に居心地の良さを感じているわけではないです。一時期は、僕も「ノンバイナリー」というくくりに落ち着いたりもしたんですけどね。

中里

僕、最初この言葉を聞いた時に、「いい言葉だな」って思ったんですよね。「ノンバイナリー」っていう響きは凄く色んな含みを持っているし、何かポジティブなイメージを与えてくれるような。例えば、今までもやもやしていた人たちが、自分のことを「私はノンバイナリー」って思うことで、感覚が変わっていけばって思いました。先日も宇多田ヒカルさんインスタライブで「I’m non binary, happy pride month」っておっしゃいましたよね。

常松

そうですね。日本ではずっと「Xジェンダー」って言われてたんですけど、僕は「Xジェンダー」って言葉に正直全く共感できなくて。

中里

Xジェンダーとは、「身体的性に関わらず、性自認が男性にも女性にもあてはまらない」セクシュアリティのこと。ノンバイナリーとの相違点は、Xジェンダーが性自認のみを表す言葉である一方、ノンバイナリーは「性表現にも男性・女性の枠組みを当てはめない」という意味を持つ点。
(参照:https://jobrainbow.jp/magazine/whatisnonbinary

僕個人としては、性自認も流動的に変化していっていいものだとは思います。ただ、当事者の性自認に対する差別や圧力からの逃げ道として「ノンバイナリー」を選択するのは考えものだなと思っています。そこにもまた差別や偏見はつきものですから。

中里

「ノンバイナリー」と名乗ることは、“その概念自体に関する議論”も常についてきます。だから僕の場合は、「問題から逃げてるわけではないよね」って思えたんです。何かこう、れっきとしたジェンダーアイデンティティの名詞の一つではあるけど、僕の中では凄く「概念」みたいな感覚としてこの言葉を使っています。

中里

考える視点を与えてくれるものって感じですか?

笠原

そう。ジェンダーもセクシュアリティも、本当にあらゆることが極端に話される傾向にありますよね。例えば、ジェンダーやセクシュアリティは「グラデーション」とかいうけど、グラデーションなんかじゃない。

中里

男女二元論の延長なんかではなく…。

笠原

はい。そういう議論を聞くと、「なんでグラデーションの両端に男と女がいるの?」って思うし、「その両極端な考え方の中立がノンバインリーじゃないから!」って思う。実際、どっちかといえば円形のカラーグラデーションみたいなものだと感じているし、その円の中にたくさん個々人の点が存在している。そこには両端なんてない。僕がこれまで感じてきたこの感覚を、概念として認識できる言葉が「ノンバイナリー」。

中里

これまで「ノンバイナリー」という言葉を知らなかった人でも、概念としてだったら共感できる方は結構いそうですよね。

常松

役所で透明になってしまう僕たちの存在

なにより、そもそもセクシュアリティや性自認自体決める必要あるのか、っていうのも同時に感じています。なんというか、自分自身の性認識に対して、他者からの承認を得る必要が無くなったらいいのになと思う。別に変わっていってもいいじゃないですか。

常松

そう思いますね。

中里

それについては、まだ凄く〈男・女〉っていうくっきりとした定義を法的に求められ、決められてしまうような感じがあって。法律というものは、本来人々の生活があって、そのもとにできたルールであるはず。それなのに、今の感じだと法律ありきというか、法律のなかに「人の生き方」をなんとか組み込もうとしている感覚がある。だから、肝心な人の心みたいなものがその構造について行っていない…というか。

常松

そう思いますね。もちろん、常松さんがおっしゃるように、自分のジェンダーアイデンティティやセクシュアリティは、もちろん変わっていっていいものであり、常に変わってゆくものだし、そこに対する変化を止める必要も無いと思います。ただ、自分の中でやっと自分の居心地のいいジェンダーアイデンティティを見つけたときに、それが法的に保障されない法制っていうのがやっぱり厳しい現実だなと感じています。もっと踏み込む余地があるはずなのに、「自分が自分自身を肯定できればそれでいいよね」って、議論がそこで終わってしまっている。

中里

うんうん。

常松

僕も、自分のこの状態を肯定できているし、何か不都合や不満はそこまでありません。友達と話したりとか、恋人をつくったり、普通のことは何も問題ない。でも、結局法的には保障されていないから、役場とか公的機関に行ったときに法的に与えられた戸籍上の性別を書かなきゃいけないので、辛い思いをすることはあります。

中里

性別のチェックボックスも基本的に男女の2つですよね。

笠原

そういうのに直面すると、やっぱり自分達の存在を消されたり排除されてるっていう気持ちにはすごくなります。本当にもう、ギチギチの法律の中からあぶれる。まぁ、あぶれたっていうか、もちろんそういう人達はずっと昔からいたはずなんですけど、見えないものになってしまっている。

中里

そうですね。

笠原

近年はジェンダーアイデンティティに名前が付き始めて、少しづつ自分達の存在が確立されてはいるし、「プライド月間」というものがあるようにLGBTQ+の人たちに意識を向ける機会は少しづつ増えてきてはいる。でも結局、法律ではガチガチの男女の世界観だから、法が関わってくる問題があるたびに僕たちはまた閉じ込められてしまう。認知されているのかと思えば、排除されていたり…。これを何度も繰り返す作業って結構しんどいなって思っています。

中里

しんどいですよね。

常松

で、でも本当にこう記入欄とかも、僕も記入しないんですけど、何も記入しなくても全然OKなんですよね。大体が。

中里

そうらしいですね。この間、「性別チェックボックスに当てはるものがなかった場合はどうしたらいいのか」、という質問に対する役場の人の回答をネットで読んでいたら「空欄のまま提出してください」だったんですよ。

笠原

そう、必要ないの。だから本当に早く法をドンドン変えていかなくちゃいけないし、法に僕達が縛られているっていうのはおかしい。自分達がより生きやすい社会をつくるために法は本来あるものだから。何か、そこの順序が今ブチ壊れているってメチャメチャ思っていますね。

中里

そう思いますね。だって主権者である僕たちのために法律はないといけないのに、主権者が嫌な思いをしたら何のための法律なんだということですよね。

常松

肩書きは必要ない、僕たちは何にだってなれる

中里さんはマルチにご活躍されていますが、直近でいうと仕事の中心は?

常松

今まではフリーランスで、フォトグラファーをメインにやってきました。

中里

やっぱフォトグラファーとしてのお仕事が多いんですね。

常松

でも去年の10月に、仲間と『IWAKAN』という雑誌を立ち上げたので、幅広く活動しています。フォトグラファーもエディターもライターも、どれやるにしても、「自分が、自分の選択で幸せになれる状態をつくる」っていうのが、僕の中での一番の原動力になっています。それを実現するためには、やっぱり自分がおかれているLGBTQ+を取り巻く社会を変えていく必要が現状にはあって。それをクリアしていくための手法として、写真だったり、エディターだったり、ライティングだったりで、発信しています。

中里

なるほど。「手段」なんですね。

常松

そうです。だから別に、フォトグラファーの方が自分にとって上だとか、エディターが自分の一番やりたいことだとか、そういうわけではなくって。全部、ツールとしてしか僕は思っていないので、どれも割とフラットにやっています。なので、肩書きをつけられると、結構困惑する。勿論フォトグラファーとしてお仕事くださったりとか、エディターとしてお仕事くださったりすること凄く嬉しいし、僕もやりたいと思ってやっていることだから、いいんですけど。何か肩書きをつけられちゃうと、「でも、他にも色々やってるけどね」みたいに感じますね。

中里

何ていうかな、日本だと特に顕著だと思うんですけど、「個」である以前に「肩書き」をたずねられることがやっぱり多いですよね。その「肩書き」によって評価されることが多いですし。

笠原

肩書きって便利で、例えば僕は社長なんですけど、「社長です」っていうとすごく話が通っちゃうこともあるんです。だから利用もできちゃうっていうか…。人は肩書きに弱いから。

常松

それはよく友人とも話してて。「なりたいものにはなんだってなれるから、自分がなりたいと思ったものを名乗っていいはず。だけど肩書きって…」みたいな。つまり、本人が意識していようがいまいが、特権性をやっぱり乱用している人がすごく多いなと思うんです。例えば、今の日本に、「日本人」として、「日本人の見た目」で、「日本語」をしゃべれて、「日本の戸籍」を持っていて、「シス男性」で「ヘテロセクシュアル」であれば、もうその時点で特権。この日本で一番の特権を持った人達ということになる。

中里

シス男性:シスジェンダー男性のこと。シスジェンダーとは、こころの性(性自認)とからだの性(身体的性)が一致している状態・人のこと。
ヘテロセクシュアル:異性に対して性的な感情を抱くセクシュアリティ。
(参照:https://jobrainbow.jp/magazine/heterosexual

もちろん、その人達もその特権を選んでいるわけじゃないから、その立場に苦しむこともあるのかもしれないけど、でもやっぱり優遇されるし、やっぱり優位な存在。この優位性と特権性を持っているんだということを、やっぱり多くのシス・ヘテロの男性は自覚しないといけないと思う。それを捨てろとは言わないし、捨てることなんかこの状況でできると思わないけど、その特権をどう使っていくのかは考えてもらいたい。

中里

なるほどね。

常松

あと、何というか、肩書きがつくことで自分の活動の範囲がちょっとでもせばまっちゃうのが嫌っていうのもあります。本当は肩書きなんてつけたくないけど、でもフォトグラファーとエディターを名乗っている方が伝わりやすいから…、っていう感じですね。

中里

自分が自分らしくいきていくために、社会を変えなくちゃいけない、もしくは、いい意味で自分が変わらなきゃいけない、そういった思いがある中で、その場に応じて必要な表現を中里さんは選び取っていくということですね。結果として、それが肩書きになることもある。

常松

そうですね。その社会を、自分が変わらなきゃいけないっていうのは、あんまり思って…(笑)いや、まぁ、変わる余白は持っていてもいいと思うけど、僕たちLGBTQ+の人たちが社会に迎合していく必要はまったく無いと思っています。「社会不適合者でいよう」と言っているわけではなくて、ジェンダー・セクシャルマイノリティの人々が置かれている現状が、明らかに社会的に不平等だということを認識する必要があるということです。それを発信する為に、色んなツールを活用しているっていう感じですね。

中里

なるほどなるほど。じゃあ何か、将来写真家になりたいから写真撮ってるとかじゃないんだね。ひょっとするとこう、今後は映画ばっかり撮るとかだってありうるわけでしょ。可能性としては。

常松

そうですね。

中里

じゃあ何ていうか、クリエイターであること自体もそこまで重要なことではない?

常松

うーん、クリエイターっていう存在についてなんですけど…。何か最近はそれに対する意識が少し自分の中で変わってきてます。お仕事で写真を撮っていると、何か、違うなって感じることが多くなってきて。これは僕が器用じゃないからかもしれないんですけど…。写真のお仕事をもらうのすごくうれしいし、楽しいからやっています。でも、こう…最近は写真に対する向上心がどんどんなくなってきちゃって。

中里

と言いますと?

常松

まだ公式には言ってないんですけど、写真のお仕事やめようと思っているんです。

中里

そうなんですか。

常松

お仕事をする中で、クリエイターとアーティストには差があるなと感じるようになりました。アーティストではなく、いちクリエイターとして自分が依頼をうけたときに、自分のクリエイティビティを100%出せるかって言われたら、実際はそうではないんですよね。やっぱりクライアントが求めている写真を撮っていると、クライアントが求めるものを自分が100%提供できるわけではない、かつ提供したいわけでもない、っていう。

中里

あ~。

常松

でも、依頼を受けた以上はそれをしなきゃいけない。そのせめぎ合いの中で、「まあ、OK」と思えるくらいのものを出してしまう自分がいることに気づいてしまって。この感覚はクライアントとかお仕事をくださる方たちに対してすごく失礼だと思ったし、自分のアーティスト性だったりクリエィティビティがどんどんどんどんけずられていって、無くなっていく感覚があるんですよね。

中里

なるほどね~。

常松

だから、もう辞めて、アーティスト活動としてしっかりと写真に向き合っていきたいと思ってます。今のままお仕事で写真をやっていると、何か写真のこと嫌いになりそうで…。

中里

写真だけが唯一、自分が長く続けられたもので。それ以外は僕、本当に三日坊主だから、すぐあきちゃうんですよね。写真を撮ること自体を大切にしたいので、ほどよい距離感だったり、いい関係性だったりを模索しています。その代わり、編集や企画に力を入れて、もっとLGBTQ+当事者の声を発信していくつもりです。

中里

じゃあ、ちょっとモードが変わってきたというか。

常松

そうですね。

中里

さっき僕が「自分が変わる」っていったのは、社会に迎合するために自分自身が変わる必要があるっていう意味ではなくて、まぁどんどん人って変わっていくよねということを言いたくて。いい意味で変わっていくと。

常松

そうですね。

中里

そういう感覚がきっとあるんだろうなと思ったんですよね。やっぱりこう、20代とかってすごく変わるっていうか。どんどん成長していくから。表現者として何かきっと、変化が訪れると思うし、今ちょうど変わっていく時期だったりするのかなぁ、なんて思ったんです。

常松

次回、第2話では中里さんのご活動について詳しくうかがいます。

#2 《リアルな声》は当事者からしか聞こえない

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クレジット

執筆・編集
長野で野山を駆け回り、果物をもりもり食べ、育つ。好奇心旺盛で、何でも「とりあえず…」と始めてしまうため、広く浅いタイプの多趣味。普段はフリーで翻訳などをしている。敬愛するのは松本隆、田辺聖子、ロアルド・ダール。お腹が空くと電池切れ。
聞き手
303 BOOKS(株式会社オフィス303)代表取締役。千葉県千葉市の埋めたて地出身。バイク雑誌、パズル雑誌を経て、児童書の編集者になる。本は読むものではなく、つくるものだと思っている。