ニューヨーク、東京、パリ、シバサキフミト

ニューヨーク、進化。

この記事は約3分で読めます by 常松心平

東京とパリを拠点にスティルライフ(静物画)で活躍する写真家のシバサキフミトさん。前回は1999年FIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)に入学したところもまでお話をうかがいました。それからどんな写真家としてどんな歩みを見せたのでしょうか。

シバサキフミト
1998年渡米後、N.Y.にて写真を学ぶ。2005年に帰国。東京にて活動開始。現在、雑誌、広告を中心に活動中。2012年より、パリでの活動も開始。2013年以降、東京・パリをベースに活動中。
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FITでの日々

FITに入ってみて、どうだったの? もうバリバリ、デジタルの撮影だったの?

心平

実際にFITに入ってみると、そんなことないんだよね。フィルムで写真を基礎から習う感じだったんだよ。

シバサキ

それって苦手な感じなんじゃないの?

心平

FITでは中途編入だったから最初夜のクラスを受けたんだけど、自分で学費を払ってる社会人の生徒もいてみんなモチベーションが高かったな。それにやってる事はたいして新しくないしはっきり言ってかなりオールドスクールな感じなんだけど、それまで日本の教育を受けてきた僕から見ると授業や課題の方向が本当に自由なんだ。これはこういう技術を勉強するのが目的なんだけど君はどうしたい?みたいな経験は今まで無いものだったな。僕自身もアメリカにまで行ってバイトで貯めたお金で入学しているから、日本にいた時とは学ぶ姿勢がかなり違ったしね。

シバサキ

日本の時より成長しているしね。

心平

そうだね。日本の先生たちも間違ったことは言ってなかったんだろうなって、ニューヨークに行って、はじめてわかった。恥ずかしいけどやっぱり自分がまだ子どもで受け入れる段階になかったんだろうなって。

シバサキ
エクソンモービルの写真
赤いバラの写真
鯉の写真
FIT時代の作品。

SHU AKASHIさんのアシスタントに

そうしてFITの日々を過ごして、次はどう展開していったの?

心平

2001年に1年前倒しでFITを卒業できることになったんだ。それでちょうどその頃、SHU AKASHIさんのスタジオから連絡があったんだ。「アシスタントやってみませんか?」って。

シバサキ

最初は門前払いだったのに。覚えてくれたんだ?

心平

最初に訪ねた時に見せた作品を覚えていてくれたみたいなんだ。一番下っ端のお手伝い程度なものだったけど、それはもう渡りに船なんでSHU AKASHIさんのスタジオになんとかお世話になることなったんだ。

シバサキ

ちょうどその頃、僕がニューヨークに遊びに行って、会ったね。日本とは撮影の仕方がまったく違うって話を聞いて驚いたのを覚えている。

心平

SHU AKASHIさんのスタジオでは当時の最新のワークフローを実践していたと思う。SHU AKASHIさんの指示で、Phase One H20を使って撮影をしてた。撮影された映像は大きな画面に映し出されて、それをクライアントが撮影スペースとは別の部屋で見ているんだ。その場で、SHU AKASHIさん自身がレタッチして、最終的なイメージに近いものをリアルタイムでクライアントに見せていく。

シバサキ

※Phase Oneカメラシステム=中判カメラに装着し、デジタルカメラ化する装置。Mamiya、Hasselblad、CONTAXなどに装着される。Phase One

2001年でそれはすごいね。日本じゃ考えられないよ。

心平

今ではそういう撮影の仕方は珍しくないけど、当時としては、最先端だった。アシスタントには高度な技術が求められるから、すごく勉強になったよ。

シバサキ

それはいつ頃まで続いたの?

心平

2002年の夏頃まで約1年間だったかな。たった一年だったけど、生涯唯一の貴重なアシスタント経験だったよ。

シバサキ

さて、いよいよ写真家としての活動がはじまるわけですが、続きは次回をお楽しみに。

心平
Diorの口紅の写真
ISAACのサンダルの写真
GUCCIのパンプスの写真
adidasのスニーカーの写真
FIT卒業からその後のアシスタント時代のポートフォリオより。

東京、衝撃。

CREDIT

クレジット

執筆・編集
303 BOOKS(株式会社オフィス303)代表取締役。千葉県千葉市の埋めたて地出身。バイク雑誌、パズル雑誌を経て、児童書の編集者になる。本は読むものではなく、つくるものだと思っている。
撮影
千葉県千葉市美浜区出身。ゴースト・オブ・ツシマにはまってます。パンダが好き。