前回はアニメーションとの出会いと、制作のきっかけについてお聞きしました。第2回はオリジナルのアニメーション“マウスマン”について掘り下げ、ガレージ・アニメ誕生の秘密に迫ります。
ガレージ・アニメ“マウスマン”と佐藤亮の世界
「アートアニメーション」ってなに?
14歳のスケッチ
佐藤さんの代表作・マウスマンですが、いつごろから描いているものなんでしょうか?
実は、キャラクター自体は13か14歳くらいのときに誕生したものなんです。
ずいぶん長い付き合いなんですね。誕生のきっかけは?
消化器官だけを抜き出したキャラクターをつくろうと思って。
なんだか中学生らしくない発想です(笑)
あと、当時よく観ていた『Beavis and Butt-Head』※にも影響を大きく受けています。
※『Beavis and Butt-Head』=90年代にアメリカのケーブルテレビ・MTVで放送された15分アニメ。ビーバスとバットヘッドという破天荒な少年二人と、まわりに起こる出来事を描いたコメディ。
マウスマンが誕生したあと、すぐにアニメーションにしたんですか?
いえ、しばらくは放置していました。20歳くらいのときにようやくマンガみたいな形式にしたんです。
あっ、これ、Tumblrで観ました!
初期の作品の元になった原稿ですね。
ガレージで命を吹き込む
こうして、中学生のころに生まれたキャラクターにストーリーがついたんですね。初めてマウスマンがアニメーションになったのはいつですか?
前回お話しした「アート・アニメーションのちいさな学校」に入って、マウスマンの第一作目が完成しました。
白黒にこだわっているのは、なにか理由があるんですか?
中には色をつけたものもありますが、色をつけると時間がかかっちゃうんです。マウスマンでは量を重視しているので、この形式を取っています。
なるほど。「アニメをつくりたい」という衝動をすぐに作品にできるのは、この制作方法の強みですね。
もちろん、原点として白黒のアニメーションに影響を受けているのも大きいですね。
ひとりでできる表現スタイルってことも重要ですね。
僕は「ガレージ・アニメ」って呼んでいます。自分の中に湧いてきた制作衝動をいちばん早く表現できる方法だと思っています。
結果、ラフな手触りの作品になって、それもガレージ感あって、かっこいいですよね。
そうですね。あといっぱい作品つくりたいなと思って。パンクとかガレージ・ロック※のアルバムって曲いっぱい入っているじゃないですか。あれがいいですよね。
※ガレージ・ロック=1960年代にアメリカで生まれたロックのジャンル。ロックンロールの初期衝動をストレートに表現する、シンプルな曲構成などが特徴。自宅の車庫(ガレージ)で練習するバンドが多かったことからこう呼ばれるようになった。
めっちゃ短い曲とか、ふざけた感じの曲とかも平気で入っていて。
そうです。その感じが出したいんです(笑)
今は何作くらいありますか?
初めてつくってから9年間で50作ほどになりました。
50! かなりの量です。
もともとは週一での更新を目指していました。現在はペースが落ちていますが、常に新しいものは作っています。
ほかになにか工夫していることはありますか?
下ネタが多いんですが、いやらしくならないように描いています。
この工夫が独特の乾いた笑いにつながっているのかもしれませんね。
巨匠に学ぶ
「アート・アニメーションのちいさな学校」に入ってから、影響を受けた人があるとお聞きしました。
日本アニメーション界の巨匠、久里洋二※さんです。「アート・アニメーションのちいさな学校」の講師でもありました。
※久里洋二=1928年生まれの漫画家、イラストレーター、アニメーション作家。50年代に作品を発表し始め、90歳を超えた今でも作品をつくり続けている。代表的な作品に「ひょっこりひょうたん島」のオープニングがある。海外からの評価も非常に高い。
どんな部分に影響を受けていますか?
音とテンポだけで映像をつくっているところですね。
久里さんの作品を観ると、シュールな場面を音楽に合わせてループさせるなど、マウスマンへの影響を感じました。
「動かさなくてもいいんだ」というか、リズムだけでもアニメーションがつくれるということに気づきました。昔テレビで「11PM」※っていう番組があったんですが、久里先生はそこで毎週ミニアニメーションを放送していました。マウスマンを毎週つくろうと思ったのはその影響もありますね。
※「11PM」=1965年から1990年まで放送された、日本初の深夜ワイドショー。お色気から時事問題まで硬軟織り交ぜた内容で人気を博した。
アニメーションなのに、動かさなくてもいい・・・。深いですね。次回は佐藤さんのもうひとつの軸である人形アニメーションについてお聞きしたいと思います。