アイドルから始まり、バラエティ、ラジオ、ドラマ、映画と多岐にわたり活躍している俳優、間瀬翔太さん。人懐っこい笑顔と端正な顔立ちが印象的ですが、実は芸能人になる前は暴走族にいたという過去も。そこから芸能人として順調に歩んでいた今年の夏、10万人に1人の難病「脳動静脈奇形」を発症しました。今回は、笑顔の裏に隠された苦悩や不安を、転落と飛躍の人生になぞって間瀬翔太さんに聞いてきました。
中学から始まった、アウトローな生き方
今日は、芸能人としての間瀬くんももちろんだけど、1人の人間としての間瀬翔太について色々聞いていきたいと思います。友達としても、興味ある!
確かに、普段あんまりそういう真面目な話しないしね(笑)
さっそくなんだけど、芸能人になるまでどんな人生を歩んできたの?
まず、生まれたのは北海道。でも、5歳の時にはもう三軒茶屋に引っ越してたから、地元は三茶になるね。小学校2年生の時まで喘息であんまり学校に行けてなくて、いじめられて、中学に入ってから一気に不良になったんだよね。
いじめられてたのが意外!中学生の時に、アウトロー人生が始まったんだね。
そう。それで、家庭の事情で中学2年生から高校1年生の間は埼玉の学校に行ってたんだけど、素行不良で退学になって、2年生の時にまた三茶に戻ってきたの。
退学になって三茶に戻ってきてから、何してたの?
先輩が作った暴走族に、初代親衛隊長として入ったんだよね。でも二ヶ月くらいで全員逮捕されちゃって、解散!
あらまっ。
その時の面白いエピソードがあるんだけど、警察の取り調べの時って仲間と携帯が繋がらないのね。だからやりとりしてる紙があって、そこにバレないように「絶対総長のこと謡うなよ」って仲間に向けて書いたら、翌日「ゴメン」ってレスが書いてあったの(笑)
誰かが白状しちゃったんだ!(笑)
そう。でも名前もわかんないから、その時の仲間の誰かが犯人ってことなんだよね(笑)
芸能界を志したのは、施設の中
捕まったのは、少年院?
本当は少年院行きだったんだけど、父親が上申書を書いてくれたおかげで少し軽い施設で済んだの。
上申書に「一緒に罪を背負います」って書いてくれたんだよね? それは、お父さんには頭が上がらないね・・・。
本当に迷惑ばっかかけてたと思う。施設に入る時に「学校に行くでも社会人になるでも、普通の人になってほしい」ってずっと言われてたしね。
お父さんも、そろそろ落ち着いて欲しかったんだね。お母さんはどうしてたの?
母親は、毎日のように面会に来てくれたよ。施設では毎週土曜日にしかお菓子が食べられないから、おっとっととポッキーをいつも買ってたんだけど、母親が来るときはいつも机いっぱいのお菓子を買ってきてくれてた。
お菓子の分だけ、愛情を感じるね。
でも、その頃の僕はまだグレてたから、わざわざ買って来てくれたお菓子を「いらねーよ!」って突き返してたんだよね。そしたらその後急にお母さんが来なくなって・・・。
愛想尽きちゃったとか?
それなら良かったんだけど、癌になったの。それを聞いたときは、全部僕のせいだと思って自分を責めまくった。
そのタイミングで癌になったら、誰でも自分を責めちゃうよね・・・。
それがあってから、「普通の人になるなら、どうせ人から必要とされてないんだから、芸能人になってみようかな」って思ったの。
お父さんに言われてた“普通の人”を、間瀬くんは“芸能人”という形で実現しようとしたわけね!
そうそう。もともとDA PUMPさんに憧れてたから、アーティストになりたいと思ってたんだよね。施設を出てからは代々木公園で友達とストリートダンスをしてて、1年くらい経った頃に芸能事務所にスカウトされたの。
始めてすぐに転機が訪れたのね!すごい!
そうなんだよね。でも、ファンも何百人とかになってやっとアーティストでデビューできる!って思ってたら、まさかのアイドルとしてデビューさせられてたの(笑)
何そのドッキリ(笑)
でもそれがきっかけで「人を傷つける側から、ファンを守らなきゃいけない立場」っていう真逆の世界に立ち始めることができたんだよね。
確かに、さっきまでの暴走族の話が嘘みたいに、明るい世界になってる! この明るい話のまま、次回にいきましょうか(笑)
うん、この先にもまだ転落話があるからね(笑)
来週は、アイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」として芸能界デビューを果たしたその後の活動内容と、“ある病”に陥った過去について話してもらいます!