
前回は、中学生の頃から始まったアウトローな人生と、暴走族になって施設に入った時の家族とのやりとり、そして、施設を出てからアイドルとしてデビューしたところまで話してもらいました。今回は、いよいよ芸能人としてデビューしたその後の活動内容と、“ある病”に陥った過去について、引き続き俳優の間瀬翔太さんに話してもらいました。
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10万人に1人の難病と闘う俳優・間瀬翔太
人を傷つける側から、ファンを守る立場に

1986年生まれ、北海道出身の33歳。17歳の時にストリートダンス中、代々木公園でスカウトされる。その後、アイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」のメインボーカルとしてデビュー。解散後は俳優として「龍が如く6」「愛なき森で叫べ」「妖ばなし」等に出演。2018年には新曲「Butterfly Effect」がドラマ「家政婦は見た!」で起用。
2019年7月に10万人に1人の難病、脳動静脈奇形を発症し、現在も難病指定のために活動中。
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芸能界から干され“アウトロー”の道へ。診断されたのは「うつ病」

前回は、アイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」として芸能界デビューを果たしたところまで話してもらいました。

アイドルは、メインボーカルとして活動してた。その頃はストリートダンスも継続でやらなきゃいけなかったから、週5で代々木公園でダンスしながらライブをやってっていう感じだったよ。2年で解散しちゃったんだけどね!

解散してからは何をしてたの?

解散して一年くらいは、ゲームしたり友達と遊んだりして貯金でなんとか生活してたの。でも、そろそろ芸能戻んないとと思って、アイドル時代に仲の良かった事務所に「間瀬翔太戻って来たんで、事務所入れてください」って挨拶しに行ったら「君誰?」って言われて。あっちは嫌味で言ったんだろうけど、僕は一年で忘れるわけないと思ったから「覚えてるでしょ?」って言い合いが連チャン続いて、初めて「干された」って知ったんだよね。


なるほどそういうことね。じゃあ、芸能人としての仕事がなくなっちゃったんじゃない?

そうそう。仕事がないって気づいたら、またアウトローに戻ろうっていう気持ちが出て来ちゃって、走り屋を結成して半年間生活してた。

またアウトローの道に戻っちゃったのね。

でもさ、転落はこれだけじゃ終わらなかったんだよね。その半年後に、急に人の電話に出られなくなったり、人の言葉を聞くのが怖いと思うようになって、病院に行ったの。

もしかして・・・

「うつ病」って診断された。

今の間瀬くんからは誰も想像つかないね。

芸能界でトーク技術を学んでからアウトローの世界に戻ったから、以前より人の嘘がわかるようになってたんだよね。多分それが原因だと思う。
ノーギャラ俳優から、大御所俳優と並ぶまでに


うつ病になってからはどうしてたの?

それからまた半年間引きこもりになっちゃったんだけど、今度は俳優としてやってみよう!と思った。

あれ、最初はアーティストになりたかったんじゃなかったっけ?

ここでしか言ってないんだけど、実は僕歌嫌いなの(笑)音痴で、周りからも下手って言われてたんだけど、芸能人になったら上手くなると思ってたんだよね(笑)

間瀬くんっぽい理由だね(笑)でも確かに、小さい頃は私もそう思ってたかも!

その時は22歳くらいだったけど、漢字も読めない、礼儀もわかんないから、まずはとにかく手を出さないようにっていうのと、漢字の勉強をやりながら完全フリーで俳優業をやり始めて。

その頃は俳優として、どんな仕事をしてたの?

最初は、ギャラも出ない自主映画とかに出てたんだけど、いろんな作品に出てるうちに少しずつギャラがもらえるようになって、有名になっていったの。23歳くらいの時。でもまた調子乗っちゃって、自主からも干されちゃったんだよね。

また干されたんかい!(笑)

さすがにやばいと思って、その時初めてお金を払って事務所に入ったんだよね。でもそこでも監督と喧嘩してクビになっちゃって。だからまた自主映画のオーディションを受けたらそこで主演の役をいただいて、それが映画祭で受賞したの。その後、10年間毎年映画祭に出させてもらってる。

事務所はもったいなかったけど、映画祭に出られたのは俳優として復帰するには良いきっかけだったね。俳優業以外にも仕事はやってたの?

24、5歳の間は、バラエティが始まった年だったんだよね。そこから徐々にラジオ番組も増えてきたりして。そして26歳の時に国際映画祭※で船越英一郎さんと並ぶことができて初めて”俳優”って言われるようになったんだよね。
※「山形国際ムービーフェスティバル2013」で、間瀬さんが出演した映画「CHRONO」がノミネートされた。

あの大御所と並ぶなんて、すごい成長!

でしょ!だからその後しっかり気を引き締めて、事務所に入ったの。それからは、俳優業もバラエティも、PVもライブもオールマイティーに活動するようになったよ。


俳優の間瀬翔太としての最初の基盤が形成されたんだね。そういえば、なんでまた歌を歌おうと思ったの?

17歳の時からファンでいてくれた子が、10年近くたった26歳の時までもずっとファンでいてくれて「歌を聴きたい」って言ってくれたの。僕は、1人でもそうやって言ってくれる人がいたら歌おうと思ってる。

ファンからの間瀬くんへの愛情も伝わるけど、間瀬くんからのファンへの愛情もすごく伝わる。ちなみに、オールマイティーに活動してる中で、どれが主軸とかはあるの?

未だに、僕もわかってなくて。26歳の時に“わがままは言わない“って決めたんだよね。自分の求められてることをするって。だから、イケメン俳優としての仕事が多いけど、イケメンがやらないようなこともやってやろうと思って。

斎藤工みたいなね(笑)

そうそう(笑)だから今も、歌って!って言われたら歌もやるし。最近は俳優としてもタレントとしても人を笑わせられるような人になりたいと思ってる。

やらなきゃいけないからじゃなくて、必然的にオールマイティーの活動をする上で、人を笑顔にさせられる俳優なんだなっていうのが伝わってくるね。

そんなこんなで26歳の頃からやりたかった仕事も色々できて、実は有名な恋愛リアリティー番組にも爆弾役として出られそうだったんだけど、僕が脳に爆弾持ってたっていうね(笑)

本当は全然笑えないんだけど、実際に経験した間瀬くんだから、意志を持って明るく話してくれるんだよね。ということで、次週は俳優・間瀬翔太を襲った爆弾の正体「10万人に1人の難病」について、詳しく聞いていこうと思います!
