物語が始まる場所<おばあさんの知恵袋> 三田村慶春さんインタビュー

<おはなし>するって何だろう?

この記事は約14分で読めます by 笠原桃華

日常から一転して冒険がはじまるような物語には、いつだって不思議な入り口があります。『ハリー・ポッター』なら9 1/4番線、『ナルニア物語』ならクローゼットの奥の方、『はてしない物語』ならあかがね色の本…。そのうちのひとつとして出てきても遜色ないようなお店、それが<おばあさんの知恵袋>です。国分寺駅すぐそばにありながら、なかなか見つけられないブックカフェ。
第4話では店主・三田村さんに<口承>についてうかがいます。

三田村慶春(みたむら よしはる)
1949年、大阪生まれ。明治大学文学部仏文学科卒業。小金井市教育委員会勤務の後、小金井市立図書館司書を2011年に退職。現在、<絵本&カフェ おばあさんの知恵袋>のオーナー兼店主であり、さまざまな活動に従事している。NPO法人語り手たちの会副理事長、同全日本語りネットワーク理事。
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三田村さんの<語り>の始まり

三田村さんは<語り>の活動もされていますよね。<語り>と<おはなし>って何か違うんでしょうか?

笠原

<おはなし>は幅の広い言葉ですよね。例えば絵本を見ながらひとりで読むことも、誰かが子どもに絵本を読んであげることも「おはなしを読む」と言いますでしょ。でも<語り>というのは、語り部が何も見ずに聴衆に向かっておはなしをすることです。

三田村

あれ何もって見ずにやっていたんですか!

笠原

そうですよ! 頭で覚えちゃっています。

三田村

物語についての知識もそうですが、他のことについても三田村さんって記憶力がとってもいいですよね。ところでいつから<語り>を始められたんですか?

笠原

地域の活動をやっていたときに、国分寺の子どもたち60人ぐらいを東京で一番高い雲取山(2000m弱)に連れて行って頂上の山小屋にとまったんです。ところが山小屋っていうのは、朝も夜も早いわけですよ。もう19時ぐらいになると消灯。でも当時も子どもたちは夜21時くらいまでテレビ見たりゲームやったりしていましたから、夜の19時なんかに電気を落とされても元気があるから騒いじゃう。

三田村

お母さんたち、困ってたでしょうね。

笠原

そうなんですよ。「それなら…」って、私が知っているお話を子ども達にしたんです。夜中に音楽室のピアノが急に鳴り出した話とか、そういうの。そしたら子どもたちが「もっと話して! もっとお話して!」っていうので、「これはどっかで勉強した方がいいな」と思って<語り>をするためにセミナーに通い始め、勉強をし始めたんです。

三田村
店内には物語関係の資料もたくさん並んでいる。

小さいお子さんたちとの交流が日常にあったんですね。

笠原

「子ども会」の事務局をやったりしていましたからね。それから3ヶ月に一度子ども達に観劇や音楽を聴かせるというような事務局もやってました。でも私の役割はただのお世話係でしたから、演者さんを最後に送り出したらポツンと1人だけになっちゃうわけですよ。

三田村

祭りの後の寂しさですね。

笠原

それでふと「舞台のこっち側にいるから寂しいんだ、舞台の向こう側に行けばいいんだ」って思ったの。当時40歳になったばっかりだったんですけど、今から演劇とか歌唱とか芸の道に行くわけにはいかない。そんな中たまたま<語り>に出会った。以来、今も舞台の上で語ったりしてるわけです。

三田村

<語り>を始められて何か変わりましたか。

笠原

1人の人間として、お客さんとの繋がりってのがやっぱり見えてきましたね。それは今まで見えなかった人との関わりみたいなものでした。その裾野には子どもたちもいるし、私の物語を楽しんでくれる大人たちもいる。

三田村

三田村さんの心の居場所になったんですね。

笠原

はい。この25年ぐらいは充実してそういう活動をやってます。

三田村

主にどういう作品を語られるんですか。

常松

主に日本の昔話が中心になりますけれどね。なぜかっていうとその頃の私には直のヨーロッパの肌感覚がなくて、ヨーロッパの話を想像では生み出すことができなかったんですよ。

三田村

肌感覚…。

笠原

<語り>というのは臨場感が大事なんです。いかに文字に頼らずに、その日の観客を読みながら語るかというところ。だから<語り>ではおはなしを一言一句暗記するのではなくて、おはなしの流れを覚えておくだけでいいんです。それをその時々、自分でちょっとアレンジしながら<語る>んです。

三田村

なるほど、臨場感。最近ではライブ感なんて言ったりもしますね。

笠原

はい。日本の物語だったらね、昔の古民家を見たとしたらそこから何かキツネが化けてきたりって想像できるんだけども…。最初の頃は異国のお話を語ることができなかったんですよ。でも今から15〜16年前だったかな、この<語り>をやってる仲間でイギリスに旅行したりして、向こうの冷たい石造りの城なんかを実際に訪れました。

三田村

自分の目で見てきたんですね。

笠原

そう、自分の目で見て、自分の手で触れてきた。それによって皮膚感覚がなんとなくわかるようになりました。それからはヨーロッパの昔話も取り入れてます。

三田村

日本人的「マニュアル方式」が見落としてしまうもの

<語り>をはじめ絵本の読み聞かせなど、広義の意味で<おはなし>を人前でされるとき、三田村さんは何か意識されていますか?

笠原

私は人前であっても自然に自分の言葉・自分の声で語ればいいと思っています。世の中には大きな存在としてマニュアル的な<おはなし>もあるんです。「子どもの前でお話する時はこれをこうしなさい」っていうきちんと指導を入れる会もあるんです。それは日本人の国民意識が反映されてるんだなと思うんですよね。

三田村

そうなんですか。

笠原

これは日本独特の文化なんですよ。今まで私も海外あっちこっち行きましたが絵本に対して「こういう方法をとりなさい」ってやる国は他にないんです。

三田村

僕も以前、読み聞かせの時に「演技しちゃ駄目」って言われたことあって、ちょっと意味がわからなくって…。

常松

演技しちゃいけない…?

笠原

そうです。つまりお話するのに、例えば山姥のお話なら、「昔々ある森を木こりが歩いていますとそこに山姥が出てきました」と始まりますが、これを語るのに声に表情をつけるかどうかという問題があります。常松さんは、それをしちゃいけないと言われたんですよね。

三田村

そうです、演出を入れちゃいけないって。

常松

「むか〜し、むかし、あるコワ〜イ森を木こりが歩いていると…、そこに…、ヤマンバが出てきました〜!」みたいな読み方をすると、ある会によっては「それじゃ駄目です」ってなる。

三田村

ええ、いけないんですか!? おそろしくていい感じですけど…。

笠原

これだと指導が入るんですよ、淡々と読むようにって。

三田村

流派なのかな。

常松

そうですね。日本人の国民意識として、そういうシステムに基づいているほうが学びやすいんだと思います。逆に「あなたの自然で自由な言葉で語りなさい」っていうと、みんな頭の中にハテナがついちゃう。だから「淡々と語るんですよ」と。

三田村

なるほどな〜。そう言われてみると、初心者の私にとっては淡々と読む方がきっとやりやすいだろうなとは思いますね。

笠原

そうかもしれないね。でも子供目線で考えてみると、「ある暗い森を木こりが歩いていると山姥ができました」って淡々と言っても聞いてる子どもは山姥なんてみたことがないから「ヤマンバってどんなものだろう?」と思うわけですよ。そしたら、やっぱり「コワ〜イ、怖い、ヤマンバ、が出てきました〜!」って言った方がゾッとするんですね。だから演技ではなくて、やはりそのときの臨場感、子どもたちとの距離感。僕はそういった要素は話し手側から出してもいいものだと思うんです。

三田村

なるほど! 確かにその方が一体感はありますね。となるとその会はどういった理由でそのルールを設けたのでしょう。

笠原

彼らは「絵本は著名な絵本作家さんや出版社が作ったものだから、第三者は表に出なくていい」という考え方なんです。だけど僕は絵本それ自体とお話しを語ることは両輪だと思ってます。こっちも楽しめればいいし、子どもたちもそれで楽しめる。

三田村

どちらもアリだとは思うんですけど、自由にやれる方がいいですよね。

常松

そうですね。

三田村

<おはなし>って、私の印象ではおばあちゃんとかお母さんが暇なときとかに聞かせてくれるものという感じでした。ルールに縛られるきっかけになった出来事はあるのですか?

笠原

これは戦後復興の過程で、日本の子どもの文化について議論される中で形成されたものなんです。女性たちの間で「子どもの存在や文化は誰が責任持つの?」って議論が立ち上がった。それである方が「子どもにはやっぱり子どもの文化があり、それを手助けするのは女性の役目だ」と提唱したんです。そこで手助けするメソッドができちゃったわけですよね。私なんかが<おはなし>に関わりだした頃なんて、まだ「男性は<おはなし>をしちゃいけません」っていうぐらいだったんですよ。

三田村

そうなんですか!? 「男性は<おはなし>をしちゃいけません」なんて。でも言われてみれば、小さい頃父に読み聞かせしてもらったことないかもしれない…。

笠原

ほとんどの男性は経験がないと思います。それはなぜかというと、多分「男は<おはなし>なんかするものじゃない」みたいな認識があったからだと思います。けれど今の男性たち、最近の若いお父さんたちは積極的に<おはなし>してますよね。

三田村

やっぱり時代が変わってきてますね。

笠原

子どもはちゃんと聞いている

<おはなし>といえば、どんな「おはなしの会」にも騒いじゃう子っていますよね。そういう子には<おはなし>よりもっと他のことをしてあげたほうがいいのでしょうか。

笠原

あのね、お子さんたちが一見聞いてないように見えていても実はちゃんと聞いてるんですよ。例えば子どもが隣のお友達をツンツンやったりとか違う方を見て寝転がったりしていて、「この子たちちゃんとお話聞けないわね」って私たちが感じたとしても、それはお話をしてるこちら側の錯覚です。

三田村

そうなんだ。

笠原

子どもがどんな状態であっても、「このおばちゃんどんな話するのかな、このおじいちゃんは今こんな話してておもしろいな」ってのは聞いているんです。だから途中でちょっとこちらが話に詰まってしまったり、あるいは何か余計なこと言うと、「お話もっとちゃんとして!」とか「そんなはずないよ!」とか子どもたちがこちらに茶々入れてくるんですよね。だから僕は耳っていうものを信じています。

三田村

耳かあ…。

笠原

耳は生まれてから、人が亡くなるまでずっと生きてますからね。よくこの話をするんですけど、赤ちゃんがおなかの中にいるときから聴力は機能していますよね。視力の場合は生まれてから何ヶ月かしないとだめですけど、聴力はもう最初からついてるわけです。

三田村

言われてみれば、寝ている間も耳は働いていますね。

笠原

そう。今から20万年ぐらい前、人類ってのはどこにいたかっていうとアフリカの森の中なんです。つまり草原にいるとライオンだのヒョウだのに襲われるんだけど、森の中にいれば木の上で安心して過ごすことができる。夜になれば、視界の効かない森の中、嵐が来たり雨が降ったりしていることで木のざわめきによって感じられる。木の上にいたとしても蛇が登ってくる危険性もありますよね。でも、耳を研ぎ澄ませることで、その音を耳が察知してくれる。

三田村

いつ外敵から襲われるかわからないですもんね。私たちはずっと耳をそばだてて生きてきたんだ。

笠原

それが今の人類の赤ちゃんにもDNAが伝わっているわけです。だから視覚よりも聴覚が発達してる。そういうふうに僕は考えております。

三田村

わらべ唄と子ども文化

わらべ唄についても以前三田村さんとお話ししましたね。今の日本ではあまり見かけなくなってしまった「みんなで一緒に歌う」、そんな歌です。

笠原

わらべ唄って言うのはつまり子ども達の歌ですが、もっともっと伝わっていいはずだと思っています。戦後、わらべ唄についても「日本の子ども文化の中に必要である」と説かれた過去はあるんですよ。

三田村

むしろ良いことのように思います。それなのになぜ昔ほど歌われなくなってしまったのでしょうか。

笠原

羽仁協子さんという婦人活動家の方がいらっしゃいます。羽仁進っていう映画監督の妹です。その方が「子どもたちにはわらべ唄が必要である」として重要性を説いたとき、どういうメソッドを入れるかというのが問題となり、コダーイというハンガリーの作曲家の考え方を導入したんですね。
『グリム童話』もそうなんですけど、1810年代にドイツという国ができたときに、国を一体化させるためのアイデンティティとして何が必要かと考えたわけです。そして、「そうだ、童話だ、物語だ」って言って、あちこちから物語を集めて『グリム童話』っていうのを作りましたよね。

三田村

聞いたことあります。『グリム童話』といっても、グリム兄弟が作ったわけじゃないって。編纂者ですよね。

笠原

そうなんです。それと同じように、このコダーイという人はハンガリーという国を一体化させるには何が必要かなと考え、国のあちこちに散っていた民謡だのわらべ唄だのに目をつけました。
日本でもそうだけど、東北の人にも沖縄の人にもそれぞれにいろんな生活があるでしょう。だからハンガリーの人たちが一緒になるためには、このわらべ唄あるいは民謡を楽譜に落としてみんなで共有したらいいのだ、とコダーイは考えた。

三田村

なるほど。

笠原

そのコダーイのやったことをメゾットとして戦後の日本に取り入れたときに、「コダーイという有名な作曲家が作ったものだから、楽譜通りに歌わなきゃいけないんだ」って錯覚も同時にもたらされたわけなんですよ。

三田村

また日本人のマニュアル好きというのか、完璧主義というのか…。

笠原

だから日本で<わらべ唄>ってなった時に、それを歌う人は「楽譜通りに歌える人かどうか」が重要視されるようになりました。それは誰かって言ったら、芸大とか音大を出た人ですよね。だから楽譜が正確に読める専門家しか歌えないんですよ。

三田村

え〜、わらべ唄の世界もそんなかんじなんですか。私「おかあさんといっしょ」のやつくらいしか聞いてないからあんまり考えたことなかったです。

笠原

歌のおねえさんたちも声楽科出身者ばかりですよね。私の知り合いの保育士さんも園長先生に言われてわらべ唄の講座に出掛けるみたいなんだけど、彼女たちは2~3回行ったところでみんな「もう嫌だって」辞めちゃうの。

三田村

どうして辞めちゃうんですか。

笠原

「来ている人は芸大や音大の人がほとんどなんだもん」というんですよ。つまりすでになんらかの訓練を受けてきた人が行く勉強の場だから、みなさん最初からとっても綺麗に歌うわけですよ。そうすると普通の人は色々と指摘されて、「え〜わらべ唄ってそんな難しいんだ、もう歌わなくていいや…」ってなってしまう。

三田村

完璧じゃないと歌っちゃいけないものになってるんですね。それは嫌になっちゃうかも。

笠原

だから日本では公民館や図書館でお話しされる昔話は子どもたちに伝わっているけれど、わらべ唄は伝わらない。途切れてしまっている。その原因はそこなんですよ。

三田村

もったいないなあ。

笠原

そうなんですよね。本来は、日常生活の中でみんなが自然に歌えばいいんです。それなのに「きちっと学ばないと歌えないんだ」っていう錯覚に陥ってしまっている。

三田村

どうしたらいいと思いますか。あんまり国民性とか言ったら言い過ぎかもしれませんけど、「完璧じゃないと駄目」っていう強迫観念みたいなものがありますね。

笠原

子守唄もあちこちにあるけど、子どもを抱っこしたりおんぶしたりしながら綺麗な声で歌うわけないよね(笑) 昔話もわらべ唄も自然発生的に出てきてるもんだという前提を忘れないようにしたいね。

三田村

僕は自由でいいと思いますけどね。コミュニケーションでもあるんですから。

常松

例えば中国語学習なんかもそうなんです。最初の皆さん、「四声」といった四つの発音の上がり下がりで挫折することがおおいですね。基本の発音を一生懸命させられるわけですよ。

三田村

※中国語は四声(イントネーション)によって意味が変わる。
<声調> <ピンイン> <漢字>  <意味>
第一声  mā     妈     お母さん
第二声  má     麻     アサ
第三声  mǎ     马     ウマ
第四声  mà     骂     ののしる

だけど実際に喋ってみたらそんな四声よりも、文章中での上がり下がりの流れの方が大切なんです。だから四声にこだわりすぎてしまうと、もう喋れなくなっちゃうんです。

三田村

確かにそうですね。フランスに留学した時、他の国の人は結構破茶滅茶な発音のフランス語でもとにかく声に出して使うんですが、日本人は発音の綺麗さにこだわってしまっていてコミュニケーションが奥手でした。

笠原

そうでしょう。日本で生活していると、日常生活そのものをみんな枠の中にはめようとしているんじゃないかと感じるし、その枠から外れてしまうことが許されないような風潮すらある。今の学校教育でもそうですけど、それが子どものストレスになっていて、追い込んでしまっているような気がします。

三田村

私が小学生だったころ、変なルールが追加されたのをよく覚えています。高学年になったある日、あだ名呼びはじめ「〜くん/〜ちゃん」という区別を禁止されたんですよね。一律で「〜さん」と呼びなさいって言われたりして。

笠原

そういうルールで子どもを縛ってしまっているところがあるよね。だからネットの世界で悪口を言うようになって、しかも匿名の世界だから簡単に極端な物言いになってしまう。絵本作家の五味太郎さんも「学校がもっともっとおもしろくなれば、外で悪さしたりいたずらしたり人を傷つけたりしないんだけど、学校が管理しちゃってるから駄目だよね」っておしゃってました。

三田村

大人からしたら「いじめや問題が起きないように」という配慮なんだろうってことはわかりますけどね。難しい問題ですね…。

笠原

戦後に「子どもの文化」の重要性が解かれたこと自体は良かったものの、それによって柔軟さが損なわれてしまったのではないかと三田村さんは憂慮されます。では「子供に向ける大人の姿勢」として、私たちは何ができるでしょうか。次回、三田村さんが地域の活動を通して感じたことについてうかがいます。

子どもは大人の背中を見て育つ

CREDIT

クレジット

執筆・編集
長野で野山を駆け回り、果物をもりもり食べ、育つ。好奇心旺盛で、何でも「とりあえず…」と始めてしまうため、広く浅いタイプの多趣味。普段はフリーで翻訳などをしている。敬愛するのは松本隆、田辺聖子、ロアルド・ダール。お腹が空くと電池切れ。
聞き手
303 BOOKS(株式会社オフィス303)代表取締役。千葉県千葉市の埋めたて地出身。バイク雑誌、パズル雑誌を経て、児童書の編集者になる。本は読むものではなく、つくるものだと思っている。
撮影
某研究学園都市生まれ。音楽と東京ヤクルトスワローズが好き。最近は「ヴィブラフォンの入ったレアグルーヴ」というジャンルを集めて聴いている。