時代劇に、キュン!
「大岡越前」の巻
映画「たそがれ清兵衛」は、2002(平成14)年公開の時代劇だ。原作は時代小説の名手・藤沢周平。寅さんシリーズでおなじみの山田洋次が監督を務めた。
2002年度の第26回日本アカデミー賞では、作品賞をはじめ、監督賞・主演男優賞・主演女優賞・助演男優賞など、ほぼすべての枠で最優秀賞を獲得した。また、2003年には、本場のアカデミー賞でも外国語映画賞にノミネートされたので、記憶に残っている方も多いと思う。
この映画、何がそんなにいいのかと聞かれたら、私は「この時代の雰囲気」と答えるかもしれない。演者が繰り出す言葉使い、衣装、髪型、照明に至るまで、浮ついたところのない生真面目さ、それが魅力なのではないかと思っている。
時代は幕末、庄内地方(今の山形県)の海坂藩で御蔵役を務める井口清兵衛(真田広之)は、仕事を終えると同僚たちの誘いに耳を貸すこともなく真っすぐ家に帰るので、皆からは“たそがれ清兵衛”と呼ばれていた。妻を亡くし、ボケ始めた母と幼い娘を二人抱えて、少ない禄ゆえ(五十石〈現在なら年収百数十万円程度か〉の平侍だ)内職と日々の暮らしに追われ、自分の身なりに気を使う余裕もない。
そんな清兵衛の元に、親友・飯沼(吹越満)の妹・朋江(宮沢りえ)が現れる。朋江は、酒乱で暴力を振るう夫・甲田(大杉漣)と離縁して出戻っていたのだ。難癖をつける甲田をあっさり倒したことで、その剣の腕前が藩内に広まった清兵衛。頻繁に家を訪れる朋江は娘たちと仲良くなり、清兵衛にも穏やかで温かい日々が訪れる。しかし、お家騒動の挙句、一刀流の使い手・余吾善右衛門(田中泯)を討てという藩命が、清兵衛に下るのだった。
映画の最初のほうで、内職をする清兵衛が娘に「学問をすると、自分で考える力をつけることができる」と優しく諭す場面がある。女に学問など必要ないといわれたこの時代にだ。
また、朋江が兄嫁に向かって「お侍と立ち話をするのが何故いけないんですか」と食ってかかる場面がある。「男はこうだ、女はこうだ」と頭ごなしに決めつけられていた時代に、清兵衛と朋江には、そんなものに流される必要はないのだという強い意志を感じる。
藩命で余吾を討ちに行くことになった清兵衛が、決闘前の身支度の手伝いを朋江に頼むシーンがある。
取るものも取りあえずとやって来た朋江。事情を聞き、持参した紐で着物を襷がけにし、てきぱきと準備を手伝う場面があるが、ここがイイ。とてもイイ! 宮沢りえの動作の一つひとつに無駄がなく、緊張感を漂わせながらも、その立ち振る舞いが美しい。
決闘に出かける直前、清兵衛はついに朋江に自分の想いを打ち明ける。しかし朋江にはすでに縁談話があった…。このとき、あっさりと諦める清兵衛がいじらしい。映画を観ている側にしてみたら「どうした清兵衛、もっと押せよー」と歯がゆいことしきりなのだが…。
ついに、クライマックスが訪れる。余吾との決闘は家の中の狭い場所で行われた。余吾を演じた田中泯は舞踏家として有名だが、映画の出演はこれが初めてらしい。清兵衛と対峙するシーンには、何ともいえない凄みを感じたね。死ぬ間際の動作は、(こう言ってよければ)じつに芸術的だった。
真田広之の太刀さばきを見ていると、「この人ほんとうに強いんじゃなかろうか」と思う。いわゆるアクションを超越した、真の武士のような動きはほんとうにスゴイ!(映画「ラストサムライ」の時にもそう思ったよ、私は)
映画の終盤には、清兵衛や朋江、娘たちのその後が語られる。幸せな時間は短くて、清兵衛は明治維新後の戦で亡くなるが、その後、朋江は女手一つで娘たちを無事に成人させたという。
清兵衛や朋江の一生を、「つまらない。自分ならイヤだ」と言う人は多いだろう。しかし、当の本人がどう思っていたかは、まったく別の話だ。
かつて、学問を学ぼうとする意志や、因習に捕らわれずに生きようとする気持ちを持つことさえ、個人にとっては大変な時代が確かにあった。
自分の好きなことだけをして、イヤなことは一切しないという生き方が必ずしも幸福とはいえないだろう。現代人の生き方がほんとうに幸せなのかどうかは、誰にもわからない。
清兵衛や朋江が選んだ生き方には、“ささやかな幸せ”という言葉がふさわしいように思う。
「たそがれ清兵衛」という映画には、生真面目さゆえの優しい愛があふれている。