こんにちは。楠本です。
「脳梗塞になっちゃった!」第4話です。入院初日の夜、病室で何があったのか? 未経験の出来事が和子さんを襲います。為す術がないと知った時、人は何を考え、どう行動するのでしょうか。和子さんの経験が、みなさんの身には起こりませんように……。
脳梗塞になっちゃった!
突然、蛇口をひねったように…。
処置室のベッドに横たわっていると、OGUちゃんとKB氏が来てくれた。和子さんの姉に連絡をとって、事情を伝えてくれていた。
「ありがとう。ほんとに、ありがとうね」。和子さんは感謝の気持ちでいっぱいだ。遅くまで病院に残り、心配そうに見守ってくれる二人に礼を言ったあと、和子さんは、ベッドのまま病室に運ばれていった。
入院初日は、個室だった。担架のベッドから、病室のベッドへと移される。今夜担当してくれる看護師さんがいた。マスク越しだが、女優の片瀬那奈に似た感じの背の高い人だった。
「すみません。トイレに行きたいんですけど……」と起き上がりかけた和子さんを別の看護師さんが制止する。「起きてはいけません」「え?」「そういう指示が出ています」「ええっ?」ということは……。
看護師さんが患者用の便器を持ってきて、和子さんの腰の下に差し込んだ。
「まじか……」。ずっと我慢していたので排泄したい気持ちは山々だが、とてもじゃないが出来そうにない。
和子さんなりにしばらく頑張ったが、ついに「出来ませんっ」と片瀬さんに(名前がわからないのでこう呼ぶことにする)訴えた。すると「そうよね~。初めてじゃ出ないよね~」と片瀬さん。
「おむつに替えましょう。そのほうが思い切って出来るから」と、おむつパンツを持ってきてくれた。何の躊躇もなく布団を剥がれ、おむつパンツを履かされると「はい。頑張ってね」と排尿を促された。
言われた通り、リラックスして下っ腹にだけ力を入れると、思いのほか簡単に排尿できた。「はあーっ」とようやく解放された気分の和子さん。片瀬さんが、おむつパンツを取って、パンツに履き替えさせてくれる。もう和子さんの羞恥心は消えていた。
しばらくすると片瀬さんが「のどが渇いたでしょ。お茶買ってきてあげるね」と言って、ロッカーに入れた和子さんの鞄から財布を出し「じゃあ、200円出すね。確か1本100円だったから」と200円を持って病室を出て行った。ありがたい。確かにのどがカラカラだ。
ややあって戻ってきた片瀬さんは「ごめーん。150円だったあ。1本しか買えなかった。ごめんね~」と言ってペットボトルを手渡し、50円を財布に戻した。かわいい人だ。思わず笑顔になってしまった。
ペットボトルのお茶は、冷たくておいしかった。
夜中にもう一度、おむつパンツを履かせてもらい排尿した。寝ている間に点滴のチューブが折れてしまうので、そのたび直しに来てくれる。
うとうとしていると、いつの間にか朝になっていた。「あ。また、おしっこしたい」とナースコールを押した。お茶は一口飲んだだけだが、そうか、点滴をしているせいだ。しばらく待ったが誰も来ない。再びナースコール。「……」。「片瀬さーん。誰か来てー」と和子さんは焦っていた。「……」。「あー。洩れちゃう、洩れちゃうよー」。再度ナースコール。
だが、誰も来ない。
もう終わりだ……。和子さんは我慢した。とってもとっても我慢したが、我慢しきれなかった。ついにやってしまった……。
一度、横たわったままで排尿を経験すると、そのときに下腹部に別の力が加わるせいか、その後、我慢することが難しくなるということを和子さんは知った。入院中も、最初のうちは、おむつパンツにしておかないとトイレに間に合わないことがあった。
和子さんが落ち込んでいると、片瀬さんとは別の看護師さんがやって来た。
「すみません…、我慢できなくて…」と恥じ入る和子さんに「あー、ごめんなさいね。朝はみんな忙しくて」と言って、てきぱきとシーツを取り替えてくれた。
そうか、病院の朝は、忙しいんだな……。和子さんは学習した。
朝9時過ぎくらいに、大阪から義兄がやって来た。やけに早い。始発の新幹線に乗ったらしい。着替えやら何やら、姉に託された大荷物を持っていた。
義兄が病院の人と相談をしている間に、担当のお医者さんやら、リハビリ担当の先生が来てくれた。みんながみんな「“いー”って言ってみて」とか「両腕をまっすぐ挙げてみて」とか言う。素直に応じながらも、この先どうなるのかなと不安に思う和子さんだった。
そうこうしているうちに、部屋を移動することになった。別棟の大部屋に行くのだ。
車椅子に乗り、点滴がぶら下がったキャスターを支える和子さん。諸々の荷物をカートに載せて、看護師さんと義兄が付き添ってくれる。車椅子で長い廊下を移動しながら、和子さんは思っていた。
「朝は、一度も片瀬さんに会えなかったな……」。それだけが心残りだった。