低酸素トレーナー 安藤真由子

トライアスロンと自転車に夢中の学生時代

この記事は約6分で読めます by 一柳麻衣子

今回のインタビューは登山家・三浦雄一郎氏、豪太氏親子が運営する「ミウラ・ドルフィンズ」で低酸素トレーナーをしている安藤真由子さんです。学生時代は自転車競技(ロードレース)の日本代表だった安藤さん。現在ミウラ・ドルフィンズで行っている低酸素トレーニングや、2015年〜2020年の間に3度、キリマンジャロに登頂したお話などを伺いました。インタビューアーの一柳とは子どもが通っていた保育園のママ友であり、私のフルマラソンデビューを一緒に走ってくれたラン友でもあります。
(取材当日は、5月14日で緊急事態宣言の最中でした。ZOOMを使ってインタビューを行いました)

安藤真由子(あんどうまゆこ)
鹿屋大学大学院卒。体育学博士、健康運動指導士。2005年からミウラ・ドルフィンズ所属。高所登山者向けの低酸素シニアトレーナー。2003年ロードレース元日本代表選手。2015年にキリマンジャロに初登頂。その後、2019年には「安藤真由子と登ろうキリマンジャロ登山」を旅行会社が企画。2020年にも登頂。登山前トレーニングから登山者をサポートしながら、キリマンジャロに登頂する。家族での登山も数多く経験し、親子登山の楽しみ方なども発信している。著書に「登山体をつくる秘密のメソッド−MIURA流登山塾」がある。
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オリンピックも夢じゃない?! トライアスロンに挑戦

久しぶりだねー。本日のインタビューはZOOMインタビューです。よろしくお願いします。

一柳

本当、久しぶり。こちらこそ、よろしくお願いします。

安藤

中3と小5の子ともたちが保育園の同級生で、真由ちゃんとはママ友として出会ってもう10年! 子どもたちは元気? 

一柳

元気だよ。家では当たり前だけど兄弟でずっと一緒にいるよ。

安藤

我が家も。さて、真由ちゃんのインタビューです。自転車競技の日本代表選手としてワールドカップオーストラリア大会に出場したり、低酸素トレーナーとしての仕事や、キリマンジャロ登頂のこといろいろを聞かせてね。

一柳

わかりました。

安藤

中学生時代は陸上部で長距離の選手だったんだよね。

一柳

そうなの。長距離っていっても部員数が多くはないので、夏はハードル競技、冬は駅伝という感じ。

安藤

高校生でトライアスロンに転向したのはどうして。

一柳

中学校の陸上部の先生がトライアスロンをしていて、まだ競技人口も多くないから今から取り組めばオリンピックも夢じゃないかもしれないって勧められて、トライアスロンをやってみようって思った。

安藤

オリンピック! すごい。トライアスロンは水泳、自転車、マラソンの競技だけど、自転車と水泳は高校生からのスタートだったの?

一柳

水泳は子どものころからスイミングで習っていて、泳ぐことはできたけど、自転車を競技として練習するのは高校生から。でも水泳は苦手でね(笑)

安藤

そうなんだ。意外だね。それじゃ本格的にトライアスロンを始めたのは高校生なんだね。

一柳

高校の部活で、トライアスロンをやっているところがなくて、トライアスロンを勧めてくれた先生が入っていた、クラブチームに入ったのね。周りは社会人が多くて、練習は基本自主練なんだけど、週末には集まれる人たちで、水泳と自転車の練習をしてたよ。

安藤

自転車競技に転向して、ワールドカップに出場

部活なら教えてくれる顧問の先生が、毎日の部活動の中で指導してくれるけど、自主練かー、大変そうだね。それから、どうして自転車競技に転向したの?

一柳

福岡の短大に入学したのね。当時もクラブチームでトライアスロンを続けていたんだけど、短大に入ってからは、九州の学生同士での合宿に参加したり、インカレに出場したことで、同世代の人たちから刺激も受けて、視野も広がったり、もっと競技を続けたいなって思ったりしたんだよね。短大の2年はあっという間だったしね。

安藤

それで大学に編入したんだね。

一柳

うん。鹿屋大学にはトライアスロン部があるし、3年からの鹿屋大学に編入したのね。そこでたまたま自転車競技のレースに出場したら、いきなり入賞してしまい、自転車競技に転向したんだよね。

安藤

そーなんだ! 鹿屋大学は体育大だし、大学の部活ってかなりのレベルだよね。

一柳

そうだね。県大会優勝の人たちが集まってくるからね。

安藤

でもそれまでトライアスロンやってきて、未練とかなかった?

一柳

もともと水泳が苦手だったから、トライアスロン選手としては平凡な記録しか出せなかったしね。

安藤

そんな! トライアスロンだって九州の地方大会で20歳以下で優勝してるのに?

一柳

20歳以下女子といっても出場者が2〜3人だしね。それに、自転車競技はトライアスロンよりマイナーな競技で女子の競技人口が少なかったのは、運が良かったと思う。

安藤

トライアスロンでは日本代表選手にならなかったけど、自転車競技で日本代表として、ワールドカップオーストラリア大会に出場したんだよね。

一柳

代表選手を目指していたっていうよりも、自転車競技の練習が好きで誰よりも練習を重ねていたら大会での成績もどんどんよくなり、結果として日本代表選手に選ばれていたっていう感じなんだ。ただ、試合のプレッシャーや緊張感、人と競うことが苦手だったから、選手としての心構えは良くなかったかも。

安藤
2003年に自転車競技でワールドカップに出場した安藤さん

一緒にママチームで駅伝大会に出たときも、すごく緊張してたよね。

一柳

練習は大好きなんだけど、試合とかは本当に苦手(笑)。

安藤

大学では自転車競技以外にどんなことに取り組んでたの。

一柳

自転車競技の練習だと長い時で一日200km、時間でいうと8時間ぐらい自転車で走っているんだけど、それにともなって身体の仕組みにも興味があって、運動生理学が専門だった、山本正嘉先生の研究室で勉強させてもらっていたの。

安藤

自分の身体とか、トレーニング方法とか?

一柳

自分の最大酸素摂取量や心拍数、血中乳酸濃度などを測定して、数字で自分の身体のことを知って、トレーニング方法を考えるっていうことをしてたよ。実践して、結果を見て悪ければトレーニング方法を変えて、測定するの繰り返し。

安藤

研究内容とアスリートとしての立場と同時にやっていたんだね。

一柳
大学の4年間の日記。心拍数や血球乳酸濃度など測定したデータを書き留めて日記につけていた。
山本先生と登山のフィールド研究。右が安藤さん。

研究室の山本先生は、登山の運動生理学の第一人者で、自ら登山をしながらデータを収集して情報を発信し続けていたの。だから、研究室には有名登山家の人たちが体力測定や低酸素トレーニングに時々来ていて、研究生の私もデータをとるなどして、山本先生の研究の手伝いをしていたの。

安藤

なるほどね。今、登山関連の仕事に就いているのでは、大学の恩師の影響があったんだね。

一柳

大学に来ていた登山家の中に三浦雄一郎さん、豪太さん親子もいて、2003年に当時70歳でエベレスト登頂を目指してトレーニングに来てたんだよね。私も、在学中にトレーニングで研究室に来ていた三浦親子の測定のお手伝いを2度ほどしたんだ。

安藤

それが縁で大学院卒業後、三浦雄一郎さんの「ミウラ・ドルフィンズ」に入社することになったんだね。では、そのお話は次回に!

一柳

安全で楽しい登山を目指して

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執筆・編集
児童書編集者。今どきの中3女子とゲーム大好き小5男子の母。娘のバスケと息子の野球の応援観戦が週末の楽しみ。今は愛犬のポメラニアン2頭に癒やされる日々。どんなことでもどんな状況でも楽しむことが一番がモットー。