「繊維画」という着物の糸をキャンバスに貼り付けて作品をつくるアーティストの稲葉怜さん。その、まったく独創的な作品はどのようにして生まれていくのでしょうか? 怜さんのアーティストとしての始まりから現在の作品に至るまでをうかがいました。
粘土細工が作品づくりの原点
そもそもアートに興味を持ったのはいつ頃なんでしょうか?
作ったものを他者に評価してもらった最初の記憶は幼稚園の年少のときですかね。友だちのお母さんに絵本作家の方がいたんです。その方に粘土細工を褒めてもらったのが、とても嬉しかったのをよく覚えています。
粘土細工ですか?
そうです。猫の親子を作ったんです。物心ついた時から、単純に絵を描くことよりも、手を動かして何かを創ることが好きだったんです。それから、観察することもすごく好きでした。植物の毛をじーっといつまでも観ていても飽きない子でしたね(笑)。
植物の毛を見ていても飽きない。まるで植物学者のようです(笑)。その後、女子美術大学附属中学校に?
はい。そこから、中・高・大学と10年間女子美術大学に通いました。
そうすると、小学校高学年のときには、はっきりとアートの道へ行こうと?
母や、祖母が芸術が好きだったんです。バレエやお芝居、美術館などによく連れて行ってもらいました。そんな環境だったので、アートの道へ進むのは自然でした。
中学に入ってから、カリキュラムの中で本格的にアートを習い始めたわけですよね?
そうですね、日常の中に、独学ですがモノつくりの時間があったので、本格的に授業として学んだのは、中学校からですね。
女子美ではどのようなことをされてたんですか?
女子美は普通の中学校より、美術の実技の時間が圧倒的に多いんです。スケッチ、鉛筆デッサンから水彩、木炭デッサン、油彩画、デザインと基礎から色々やりました。
そのなかでは、どんなことに興味をもっていましたか?
自分なりの描き方を見つけることです。目に入るものでピンときたものはなんでもモノつくりに使えないかと模索していました。実験的にモノを作ることが好きだったんですね。
では中学の時から正統派の絵画を学ぶという発想じゃなかったんですね。
そうかもしれません。授業で基礎を教えていただき、それに自分のアイデアが加わって、自分だけのモノになっていく事に喜びを感じていました。
なるほど。なんとなく現在につながる部分が見えてきましたね。
自分のスタイルを探した大学時代
大学も女子美に?
はい。洋画科に進みました。
やはり洋画科ということで、本格的に油絵の具での制作について学ばれていたのでしょうか?
実はあまり油絵を専門に学んだんじゃなくて(笑)学科をまたいで色々なことを学ばせていただきました。
そうだったんですね(笑)
例えば、日本画科に岩絵の具をつくる機械が入ったと耳にすれば、顔料にしてみたい鉱物を持参して砕いてみたり。京都で紙漉きのシンポジウムがあると聞いたら夜行バスに乗って聴きにいったりとか、新しい手法やアイデアを常に探していました。
ここでもオリジナリティーを発揮していたんですね(笑)。
そうですね(笑)。大学後半は版画を専攻するのですが、写真製版、リトグラフ、銅版画、木版、シルクスクリーンなど版画を学ぶかたわら、そこで繊維画を始めたんです。
版画じゃなくて、繊維画に出会ってしまうんですね。
そうなんです。(次回へ続く)
「旅慣れたトラヴェラーにも愛される宿」をコンセプトに2015年6月に赤坂にオープン。以来、世界から集まった約1万人以上が宿泊した。1階のバーでは定期的にアーティストの展覧会が開催されている。