イラストレーター、ビオレッティ・アレッサンドロさんは、来春、303BOOKSから発売予定の絵本 『なぞなぞショッピングモール』(仮題)を製作中です (諸事情により発売が延びていましたが、2022年9月に発売が決定しました!)。 イラストレーターとしての仕事や、絵本の作品への想いについてお話をうかがいました。
※2019年夏のインタビューです。
イタリアの少年が夢見た日本
子どもがまだ小さいので、家の近くを家族で散歩することが多いんです。松陰神社前駅の周辺にもよく来るんですよ。
よい街並みですね。落ち着いた雰囲気の中に、オシャレなお店がポツポツと。今インタビューさせていただいている、ここGrand Arbre(ゴン アルブル)もすてきなお店ですね。
イタリア・トリノの出身ですよね。日本に住みたいと思ったきっかけは何ですか?
祖父は新聞社に勤めていたんですが、7歳の時に祖父の家の本棚で、たまたま日本の写真集を見つけたんです。赤丸がついていたので、何の本だろうと思って手に取ってみました。
赤丸ですか?
それ、日本の国旗だったんですけど、子どもだから知らなくて(笑)。写真集は、70年代に出版されたものだったんですが、当時の日本の美術、建築、それと工場の写真なんかも載っていて、すごくおもしろいなあと思ったのが日本に興味を持ったきっかけです。
7歳の少年は、日本にイタリアとはちがう何かを感じたのでしょうか。
うーん。たぶん、何か感じていたのかなと思うのですが。写真集の風景は、今の日本とはぜんぜんちがうものだったんですけど、当時の銀座とか、街の看板とか、カラフルできれいだなと思いました。
イタリアの街のほうが、カラフルな気がするのですが。
この話をすると、毎回そう言われます(笑)。その写真集がきれいだったのでしょうね。でも、その時から日本の文化をもっと知りたいなと思うようになりました。16歳の時に日本語の勉強をし始めて、18歳で初めて日本に来ました。
それは旅行で? 短期間ですか?
そうですね。それから、だいたい1年に1回くらいは来るようになりました。子どもの頃から、いつか日本に行きたいと思っていたので、クリスマスにおこづかいをもらうと、なるべく使わないで我慢して、ちょっとずつ貯めていました。そのお金で4、5年くらいは来られましたね。
えー、おこづかいを使わない子どもって! 日本への想いがかなり強かったんですね。
もう1つの夢は絵を描くこと
日本へ行くことは、子どもの頃からの夢ですが、絵を描く仕事につきたいというのも、かなり小さい頃から決めていました。ぼくはもう絶対そういう仕事をするんだと。
子どもの頃から、かなり強い想いで2つのことを目指していたんですね。
美術を専門に学べる高校へいって、クラッシックな絵の勉強をしました。モデルを見てデッサンしたり、粘土で彫刻をつくったり。そして、その後マンガの学校に通いました。卒業後、当時一番活躍していた先生のアシスタントになったんですが、2、3か月で辞めちゃったんです。
有名な先生のアシスタントって、なかなかなることができないんじゃないんですか。
たしかに、しばらくそこに居れば仕事の依頼が来る可能性も大きいので、その先生のアシスタントを目指している人も多かったんですが、当時のぼくは、どうしてもすぐ自分の絵が描きたくて、我慢できなかったんですよ。
最初は、マンガ家を目指したのですか?
イラストとマンガとの区別は全然なくてというか、まずはマンガを描きたいと思ったんです。『ドラゴンボール』『ONE PIECE』、70年代の『釣りキチ三平』とか、日本のマンガも読んでました。マンガ雑誌『ジャンプ』に投稿しようと思って、50ページもの作品をつくったときもありました。でも、ストーリーをつくるのはなかなか難しくて、結局送らなかった。今考えると50ページなんて、ありえないんだけどね(笑)。
イラストレーターを目指されたのは?
マンガを書きたい気持ちは今でもあって、展覧会などでは展示したりもしているんですが、仕事としては、ほかの方向性も考えようと。日本のTIS※のWEBサイトを見て、広告とか雑誌とか、いろいろな場面で活躍している方々の作品を見て、イラストレーションの可能性を知ったというか。なんかこう、イラストレーションの仕事を自分もやりたいという気持ちになりました。
※TIS:東京イラストレーターズ・ソサエティ。第一線で活躍するイラストレーターの集まり。イラストレーションの可能性を模索し、発展を目指す。また、その存在や仕事ぶりを社会に向けて発信している。
Tokyo Illustrators Society
日本に来てイラストレーターになるという夢を、どのようにつかまれたのか、興味があります。また絵本との出会いや製作中の絵本についても、第2回として続けてお話をうかがわせてください。