ササジマ丹波ユースケです。最近、私が住んでいるコロンビアでもラテンアメリカ向けのアマゾンプライムの映画サービスが始まり、プライムとネットフリックスの2本柱でサブスク生活を堪能しています。さて、私がおすすめするサブスクで観られる映画・ドラマですが、せっかくなので勝手にコロンビアというテーマ縛りで選んでみました。
ニュー・サブスク・パラダイス
奇才ウェス・アンダーソンの映画世界
Escobar, el patrón del mal
(邦題:パブロ・エスコバル 悪魔に守られた男)
カラコルテレビによって制作されたTVドラマで、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルの半生を元にしたシリーズです。邦題は「悪魔に守られた男」なんていうダサいタイトルがついているが、ドラマ内容と合わせてサラッと原題を訳すと「エスコバル 悪の帝王」という感じになるのかな。
ちなみに原題にある「patrón(パトロン)」という言葉は、「守護聖人」や芸術家などを支援する「パトロン」、「経営者」などを意味するほか、マフィアの間ではカルテルのトップなど位の高い人に対する人に対して(ヤクザ界でいう「オヤジ」的な感じ)使われる。
さて、パブロ・エスコバルを題材にしたテレビシリーズとしては、アメリカで制作された『NARCOS』(ナルコス)が有名だが、今回は紹介しない。というのも、『NARCOS』のパブロ・エスコバル役の人のスペイン語を聞いたとき、「ネイティブじゃないな」と思って調べたら案の定ブラジルの俳優さんだった。
スペイン語を知らない外国人なら気づかないレベルだが、スペイン語ネイティブやコロンビアのスペイン語に慣れ親しんでる人ならわりと気になる。どれくらい気になるかというと、ネイティブ関西人にとって朝ドラに出てくる変なイントネーションの関西弁でしゃべる役の人ぐらい気になる。
主役のパブロ・エスコバル以外にも、コロンビア人役だけど「コロンビア人じゃないな」っていうことがあって個人的に気になっちゃう。シリーズを楽しんで見るためにはそこまでリアリティにこだわる必要はないのだけど、コロンビア人を題材にしたドラマなんだからやっぱりコロンビア人が演じたものを観たい!(もちろん上記のブラジル人の方は俳優としては素晴らしいです) ということで、今回は配役全てをコロンビア人でかためた『Escobar, el patrón del mal』を紹介。
メデジンが「世界でもっとも危険な都市」と言われていた時代に、理不尽な暴力によって命を落とした犠牲者たちを忘れないためという意図でつくられたこのシリーズは、放送初回から話題になり、コロンビアドラマ界としては高視聴率の部類に入る平均視聴率16%を記録。ただ、批判もたくさん出たようで、「ただのマフィア礼賛の宣伝ドラマ」「コロンビアやメデジンのイメージを損なうだけ」などと厳しい目を向ける人も。
外国人の私としては、麻薬カルテルの出現以前から政府と対立してた極左ゲリラ組織とか極右軍事組織とかがカルテルと絡み合って暴力の時代に突入してく過程をざっと知ることができるいい材料かなという印象。全てが描き込まれているわけじゃないし脚色もあるので、ほんとざっと程度ですけど。
さて、このシリーズで特筆すべきは主役のパブロ・エスコバルを演じた俳優アンドレス・パーラの見事な演技。本人曰く、パブロ・エスコバルになりきるために彼の音声を四六時中聞いて独特のアクセントや呼吸のタイミングなどを習得したとか。パブロ・エスコバル本人の音声と聴き比べとそっくり。役になりきる情熱と完成度の高さを見せつけられると「その心意気買った!」となっちゃいますよね、『変態仮面』を演じきった鈴木亮平みたいに。
Sobreviviendo a Escobar, alias JJ
(邦題無し。拙訳:J.J、亡きエスコバルの後に)
これもカラコルテレビのテレビドラマシリーズでまたパブロ・エスコバル関連。こちらのドラマは、彼が率いる麻薬カルテル、「カルテル・デ・メデジン」の殺し屋だったジョン・ハイロ・ベラスケスが自身の体験を綴った本をベースにして制作されたフィクションで、主人公ジョン・ハイロ・ベラスケスが、パブロ・エスコバルの死後、麻薬カルテル、極左ゲリラ組織、極右軍事組織が抗争を繰り広げる刑務所で生きのびる姿が描かれる。
物語自体はフィクションではあるものの、劇中で起こるイベントは史実に基づいているものも多くある。たとえば上記の抗争は本当で、とくに2000年代初頭は刑務所の支配をめぐって殺人や死体遺棄が日常的に行われていた。また、劇中では刑務所内での抗争の真相を調査していた女性記者が誘拐されて拷問を受け、挙げ句には強姦して路傍に捨てられるというフィクションであってほしい出来事が描かれるけどこれも実際の出来事。
なお、このおぞましい事件の被害者であるジャーナリストのJineth Bedoya(ヒネス・ベドージャ)さんは、ほかにも左翼ゲリラに占領された地域に取材で赴いた際カメラマンとともに誘拐され殺されそうになったこともあるそうだ。
こうした危険な目にあってもなお報道し続けるヒネスさんは不正と闘う誇り高きジャーナリストであると同時に、性暴力に抗う活動家である。2009年に自身の強姦された辛い過去を公表し、”No es hora de callar”(拙訳;黙っているわけにはいかない)という、性的暴力を受けた女性たちを応援するキャンペーンを率いている。
こうした活動とその勇気を称え、2012年には「国際勇気ある女性賞」、2020年には「ギジェルモ・カノ ユネスコ世界報道自由賞」を受賞している。ちなみに、ギジェルモ・カノとはコロンビアの新聞社EL Espectadorの記者で、脅迫を受けながらもカルテル・デ・メデジンの悪事を報道し続け、最後はパブロ・エスコバルが送りこんだ殺し屋の凶弾に倒れたジャーナリスト。
Loco por vos
(邦題無し。拙訳:君に夢中)
ふとしたきっかけで出会った男と女がいろいろな苦難を乗り越えて恋を成就させるという、よくある話のコロンビア映画。正直ストーリーは盛り上がりに欠けてとても退屈だ。
ただ、「首都ボゴタの人は冷たくいけ好かない」「メデジンの人は粗野で荒っぽくて保守的」などといったコロンビア人の地域性や偏見、ステレオタイプが描かれているので、そういうことを知らないコロンビアファンにとっては楽しめるはず。
日本でいうところの、東京の人は冷たくいけ好かない、大阪の人は声がでかくてうっとおしい、滋賀県には琵琶湖しかないみたいなステレオタイプがコロンビアにもあるのだ。なお、京都府民や大阪府民に自県を侮辱された滋賀県民が繰り出す脅迫ワード「琵琶湖の水止めるで」に匹敵するものをコロンビアではいまだに聞いたことがない。
Colombiana
(邦題:コロンビアーナ)
リュック・ベンソンが製作・脚本を担当したアメリカ・フランスの合同作品。正直本作はほぼコロンビアと関係ないのだが、主人公がコロンビア人という設定のみで選出。両親を目の前で殺されたマフィアの娘が冷徹な殺し屋に成長して復讐を目指すというお話。
主演は『アバター』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』などで知られるゾーイ・サルダナ。本作は元々『レオン』の続編として構想が立ち上がったもので、ナタリー・ポートマンが主人公の予定だったが権利関係で問題が起きてプロジェクトは立ち消え、『コロンビアーナ』の製作に切り替わったようである。
さて、肝心の内容であるが、ゾーイ・サルダナはいいが全体としてはちょっとなんだかなという感じ。冷徹な殺し屋いう設定だったらやっぱり『イコライザー』のデンゼル・ワシントン(劇中ではロバート)みたいにいろんなパターンの殺しを見せてほしかったし、当局に見つかるときも「最終的にそんなプロの殺し屋らしくない原因で発見されんのかよ」っていう残念な感じが否めない。個人的には敵の雇った一枚上手の殺し屋の罠にかかって…とかのほうが好き。
また、感情をあらわにして泣くシーンが2回出てくるけど、感情爆発させんのは1回でよくない? 当局に見つかるキッカケとも相まって、彼氏の前では油断するしわりとすぐに感情的になるしで「冷徹な凄腕の殺し屋」っていうイメージが崩れちゃってる気が。あと、やっぱサメだよね。ターゲットの屋敷に潜入したときにサメが出てきて嫌な予感がするなーって思ったらやっぱりか!
サメは基本的におとなしいてあんま人襲わないって言われちゃってるし、海沿いにある「サメ研究所」みたいな場所ならともかく豪邸といえども一個人の家にサメが出てくると「飼育が難しいサメを飼えてるってことはえげつないくらい飼育技術が高いんだな…」とかそういう考えが出てきちゃって気になっちゃうんだよな。劇中のサメも2mくらいでちっちゃいし迫力が…。
もっと頻繁に人間を襲ってて、飼育しやすくて、マフィアが飼ってそうなワニとかカバとかに襲わせるとかもありじゃないか。「危険」というイメージがあって水中に引きずり込めるからサメが都合がいいのはわかるけど。ちなみに、パブロ・エスコバルは個人動物園も所有していて、そこにカバを飼っていた。彼の死後、自然繁殖を繰り返したカバたちは80頭にまで増えて地域の生態系バランスを脅かしているとか。
Licence to Kill
(邦題:007 消されたライセンス)
コロンビアとうっすら関係があって敵がサメに食われる映画は『消されたライセンス』もある。007シリーズの第16作にあたる本作は、4代目ジェームズ・ボンドを演じたティモシー・ダルトンの最後の作品となった。
悪役として登場するのがロバート・デヴィ演じる麻薬王サンチェスで、その設定は当時に麻薬王として世界に名を轟かせた、もうご存知、パブロ・エスコバルにインスパイアを受けたと言われている。サメに食われるシーンはというと、味方が敵のサメに食われて重症を負い、のちにボンドの復讐によって逆に敵がサメの餌食になる。まあ、舞台はサメの研究所だし80年代だしいいでしょう。
ところで、この作品はボンドシリーズにおいてちょうど過渡期にあったと思う。過渡期とは、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーア時代の、女たらしの諜報員がリアリティはさておいてゆるりと敵を倒していく「ゆるふわスパイアクション」(それがダメだとは思わないしそれはそれで好きだ)から、ときに悲しみときに怒る、感情をもった一人のリアルな人間としてのジェームズ・ボンド像や迫力あるアクションを取り入れた「シリアススパイアクション」へと移行していく時期だ。
そのため、ある007ファンの方が自身のホームページで指摘しているように、本作はこれまでの伝統的な ”ゆるさ(荒唐無稽さ)” と ”シリアスさ” が共存するものになっている。
さて、本作の荒唐無稽要素でいうと、「同じ敵を追っていた香港警察の部隊がなぜか忍者部隊」「サンチェスのコカイン密輸計画に投資する日本人がフツーの見た目(麻薬密売するくらいせめてそっち系みたいな格好にしてくれ)」などなど。シリアス方向への転向としては、「ヘリコプターで飛行機を宙吊り」「飛行艇への飛び移り」「タンクローリー大爆発」など、ダルトンがCGなしでわりと迫力あるスタントをこなすなど、派手なアクションが取り入れられた。
ちなみに、前述したファンの方が「伝統的な荒唐無稽さ」として指摘した、「ボンドとボンドガール会ったその日に体を重ねる」、「元陸軍パイロットという設定のボンドガール、キャリー・ローウェルのプロポーションが良すぎる」という2点については同意しかねる。
1点目についてだが、もちろん人によるが、欧米やラテンアメリカ圏(本作でボンドが寝た女性は欧米系とラテンアメリカ系)では会ったその日に体を重ねることは日本と比べるとそこまで珍しいことでもないので荒唐無稽ではない。
上記であげた『Loco por vos』では、主人公の二人は出会ったその日に体を重ね、後日男が女に自分に好意があったから寝たのかと聞くと「いや勢いで」と返すシーンがあるように、そういう感じで捉える人は少なくないし別に気にしない。ボンドがすぐに女性と寝たって別に荒唐無稽でもなんでもない。
余談だが、ティモシー・ダルトンがボンドを演じた時代はAIDS(エイズ)の流行が問題になっていた影響でボンドのベッドシーンは少なめになっていたらしい。
2点目について、世界には美しいプロポーションをもつ女性軍人さんはたくさんいる。日本にだっているはずだ。「軍人だからダイナマイトバディーなわけない」なんていう偏見は今すぐ捨てよう。ここにコロンビアでセクシー軍曹として話題になったヴァネッサ・ロハス軍曹を紹介しておこう。
最後にセクシーな軍曹を紹介して終わるというイレギュラーな映画・ドラマ紹介コラムになってしまいましたが、今回はこの辺で。