夕立のアンティオキア ―パイサの生き方―

グラフィティ・ツアーガイド エステファニア・アランゴ(2話)

この記事は約6分で読めます by ユースケ“丹波”ササジマ

オフィス303の元社員、ユースケ“丹波”ササジマがコロンビアの女性にインタビューしていく連載企画。引き続きエステファニア・アランゴさんとおしゃべりしています。今回は2002年のComuna 13で行われた軍事作戦について話を伺いました。

今も影を残す「オリオン作戦」

前回のインタビューでちらっと言ってた、ゲリラ掃討作戦について聞きたいんだけど。

笹島

「オリオン作戦」※のことね。そもそもの話をすると、2000年初めくらいまでゲリラ組織がたくさんいて、地区を支配してたの。

エステファニア

※オリオン作戦 = 2002年10月16日に実行されたゲリラ掃討作戦。コロンビア軍や警察、都市テロ対策特殊部隊から1500人近い人員が参加した。また、当時麻薬密売で巨利を得ていた準軍事組織がおり、Comuna13での縄張りをめぐってゲリラ組織と対立していた。ゲリラを一掃したいという利害が一致した政府と準軍事組織は、合同でゲリラ組織を制圧し、不在になったComuna13はゲリラに代わって準軍事組織が支配するようになる。その準軍事組織も2005年に解体し犯罪組織はいなくなったが、そうした間隙にギャンググループが巣食うようになり、今にいたる。

支配って具体的にいうとどんな感じなのかな?

笹島

たとえば、当時、ゲリラ組織が資金を集めるために、お金を持ってそうな人を誘拐して身代金を要求するっていうことをよくしてたの。だから、人質を隠す場所とか構成員のご飯とかを一般市民に無理矢理提供させてたの。あと、お金も要求してたね。

エステファニア

そういう要求を断った人は・・・

笹島

殺されたわ。まあそういう感じでゲリラ組織がいたんだけど、それを一掃するために軍が掃討作戦を実行したの。それが「オリオン作戦」っていう作戦なの。

エステファニア

なるほど。エステファニアはそのときの6~7才くらいだよね? どんな感じだったの?

笹島

たくさんの兵隊のほかにも装甲車とかもあったよ。あと、ヘリコプターが街の上を飛び回っててプロペラ音が怖かったよ。

エステファニア

そのとき学校とかどうしてたの?

笹島

学校なんてなかったよ。というか、その作戦の間は街から出られなかったからね。覚えてるのが、銃撃がやんだ後に家族みんなで薬莢を拾いにいってたわ。

エステファニア

薬莢? なんで?

笹島

売るために。薬莢って金属でできてるじゃない? だから、拾ってきた薬莢を鉄くずとして売ってお米とか買ってたの。街から出られないからお母さんは働きにいけなかったし。

エステファニア

作戦中はほんと戦時中みたいな状況だったんだね。

笹島

あと、外に出るときはゲリラの構成員と間違われて撃たれないように白い布をかざしてたよ。ちなみに、当時白い布はもう戦闘をやめてくれっていう意味もあったの。

エステファニア

住人への被害はあったの?

笹島

もちろんあったよ。正確な数字を出すのは難しいけど、少なくとも怪我人が80人、死亡者が30人、行方不明者が100人くらいいるっていわれてる。不当に逮捕された人も400人くらいいるらしいよ。でもちゃんとしたデータが残されてないんだよね。

エステファニア

死亡とか行方不明とかって、誰がやったことなの?

笹島

わからないの。ゲリラと無関係の一般市民が無差別に犠牲になっているのに、誰が実行したか誰だ指示したかも明らかにされてないから、誰もそのことについて罰されてないのが問題ね。今でも犠牲者の家族は国に情報を求めてるけど回答は得られてないの。「オリオン作戦」でゲリラ組織はいなくなったけど、こういう問題が残っちゃったのよね。

エステファニア

そうなんだ、なかなか辛いね・・・。

笹島
右上に見える山肌のあたりに「La Escombrera(がれき捨て場の意)」という場所がある。名前の通りがれきを捨てる場所だったが、アクセスが悪く人目につかないことを利用して、犯罪組織が殺害した遺体を隠す場所として使っていた。「オリオン作戦」の行方不明者の遺体が埋められているといわれている。
「オリオン作戦」の不当な側面を描いたグラフィティ。サイコロをふる手は当局を、家々は無差別で作戦の犠牲になった住民を表している。

「オリオン作戦」からの復興

今Comuna 13はメデジンでも定番の観光地になってるけど、いつから観光地になったの?

笹島

本格的に観光地になったのはエスカレーターができてからじゃないかな。Comuna 13には勾配がきつい場所があって、仕事へ行ったり学校へ行ったりするときの上り下りが大変だったから、その問題を解決するためにエスカレーターが設置されたの、街の中に。

エステファニア

あのエスカレーターね。あれすごい楽しいよね! 街中でエスカレーターなんか乗る機会なかったからすごい新鮮だったよ。ちなみにいつから稼働し始めたの?

笹島

2012年だね。

エステファニア

わりと最近なんだ。

笹島

そう。それ以前から若者たちが「オリオン作戦」から立ち直るためにグラフィティを描いてたしツアーもやってたみたいだけど、エスカレーターの存在も大きいと思う。

エステファニア
Comuna 13のエスカレーター。日本製でメーカーはフジテック。一週間の平均利用者は1万2000人。
6基のエスカレーターが住宅街のなかをヘビのように這って設置されている。合計全長は100mで始点から終点までの高さは10階建てビルに相当する。
エスカレーターが設置される前のようす。住人は長い時間をかけて階段で上り下りしていたが、今では麓から頂上まで数分でたどり着く。
エスカレーターの踊り場にはカフェやグラフィティギャラリーがある。こちらのカフェではお酒やコーヒーが飲めるほか、ある時間帯には地元の若者のラップを楽しめる。お題の言葉を振れば、その言葉(スペイン語に限る)を折り込んだラップをしてくれる。
グラフィティギャラリーではステッカーやポスター、Tシャツなども販売している。

観光地になって雇用も増えたらしいね。

笹島

そうね。まさに私がしてるガイドも観光地になったおかげでできる仕事だからね。まあ今はガイドがいっぱい増えてやや飽和状態になっちゃってるけど。ガイドなしで観光する人も多くなったし。

エステファニア

たしかにガイドたくさんいるよね。Comuna 13の最寄りの駅に行くといっつも声かけられるもんね、「ツアーどうですか?」って。ところで、ガイドの仕事は楽しい?

笹島

楽しいよ。昔は銃弾が飛び交ってた私たちの街が、変わろうと頑張っている姿を知ってもらえるのはうれしいよね。

エステファニア

それは知ってもらいたいよね。現地の人もいまだにComuna 13はすごい危険な街って思ってる人いるし。この前コロンビア人の友達を案内しようと思って誘ったら「危なくないの?」って心配してたもん。ちなみに「オリオン作戦」でゲリラは一掃されたの?

笹島

ゲリラはいなくなったけど、ギャングが入り込んできてるよ。でも、私に限っていえば、彼らはゲリラと違ってこちらが何もしなければ危害を加えられることはないわ。いないほうがいいのはもちろんだけど、そういう意味ではゲリラよりはマシ。

エステファニア
Comuna 13にはいまだに犯罪組織が巣食っているが、当局も警戒は緩めていない。エスカレーターの終点には軍の兵士や警察官がパトロールしており治安維持に努めている。エステファニアの姉や母に、「もし外国人の私が観光客として当時のComuna 13に来ていたらどうなっていたかだろうか」と聞いたら間髪入れずに「誘拐されるか殺されるかのどっちか」という返答が返ってきたので、作戦当時と比べると治安はとても改善されているようである。

観光客が日中に歩き回るだけだったら何も起きないよね。

笹島

もちろん大丈夫よ。ただ、暗くなってから歩き回るのはオススメしないわ。

エステファニア

そうなんだ。アドバイスありがとう。じゃあ夜の散策は控えるよ。今回はこの辺にして、次回は家族について聞かせてもらうね。

笹島

グラフィティ・ツアーガイド エステファニア・アランゴ(3話)

CREDIT

クレジット

撮影・聞き手・執筆
株式会社オフィス303の元社員。黒豆で有名な兵庫県丹波篠山市出身。2017年に日本を飛び出して1年ほどラテンアメリカ諸国を行脚する。現在はライターやフリー翻訳者として働きながら超低空飛行で生き延びる。