時代劇に、キュン!

「壬生義士伝」の巻

この記事は約3分で読めます by 楠本和子

映画「壬生義士伝」は、2003(平成15)年公開の時代劇だ。「鉄道員(ぽっぽや)」の浅田次郎が手掛けた時代小説が原作となっている。監督は、「おくりびと」の滝田洋二郎。

南部出身の吉村貫一郎(中井貴一)は、その剣の腕前を認められて新選組の隊士になった。吉村は訛りが抜けない田舎侍だし、やたらと金を欲しがるので、皆から守銭奴呼ばわりされているが、本人は意に介さない。特に、実力はあるが虚無的な生き方しかできない斎藤 一(佐藤浩市)は、吉村のことが嫌いでしょうがない。そんな二人の関係を軸に、映画は描かれる。

この映画は、2004(平成16)年の第27回日本アカデミー賞で、最優秀作品賞・最優秀主演男優賞・最優秀助演男優賞などを受賞している。もちろん主演は中井貴一、助演は佐藤浩市だ。貴一クンも佐藤サンも大好きなので、この二人を見ようと映画を観たというのがホントのところだ。

この映画を観ると、つくづく思う。

「貴一クンって、こんなに男前だったっけ?」

そう、中井貴一が素晴らしくカッコイイのだ。貧乏侍の役なので、すらりとスマートなのはわかるが、とにかく顔立ちがイイ。笑顔も優しくて素敵だ。貴一クンとは同い年だし、「ふぞろいの林檎」だったころから見ているが、こんなにイイ男だったとは知らなかった。

佐藤サンもまだまだ若くて皺もないし、斎藤 一として、左利きで長刀を操る姿がなかなか決まっている。

吉村貫一郎の「おもさげながんす」という台詞も印象的だ。「おもさげながんす」は、南部弁で「申し訳ありません」とか「ありがとうございます」とかいう意味らしいが、映画の中では、貫一郎や、ぬい(中谷美紀:奥州の出で、斎藤に買われた元遊女)の口を通じて、何度も何度も使われている。この「おもさげながんす」という言葉が、吉村貫一郎という男の生きざまを表しているように思う。斎藤 一なら決して口にしない言葉だ。

吉村貫一郎は、南部の下級藩士だったが、貧しすぎて家族を養えず、脱藩して金を稼ごうと決意する。その行き先が新選組だったのだ。貫一郎は、家族に金を送るために人を斬る。新選組の行く末があやうくなってからは、何としても生きようとする。仲間たちにも生きながらえろと訴える。そんな貫一郎の生きざまは、頑なだった斎藤の気持ちを少しずつ変えていった。

江戸幕府の時代が終わり、明治も半ばを過ぎたあたりから映画は始まる。年老いた斎藤が、孫を連れて、とある医院を訪れる。斎藤は、そこで新選組隊士の姿で写る、吉村貫一郎の写真を目にする。映画は、明治と幕末の時代を前後しながら、斎藤の回想とともに描かれていく。

幕末、新選組、鳥羽伏見の戦い…など、それだけでテンションが上がる人たちも多いだろうとは思うが、この「壬生義士伝」というタイトル。これをふり仮名なしで読める人たちって、どのくらいいるのだろう。映画の中でも特に「壬生」の説明がなかったような気がするが、私が見逃してしまったのだろうか。

京都の「壬生」といえば、元々は「壬生浪士」として発展していった新選組の屯所があった場所として、ファンならば知っていて当然だが、一般的にはどうなのだろう…。まあ、こんな些細なことはどうでもいいか。

吉村貫一郎と斎藤 一を演じた、中井貴一と佐藤浩市についてはいろいろと書いてきたが、ほかのことは(申し訳ないが)じつをいうとあまり覚えていない…。この映画そのものには、あまり惹かれなかったというのが正直な気持ちだ。

この映画を絶賛する記事やコメントなども読んだことはあるが、私個人にはあまり響かなかったなあ。たぶん、滝田洋二郎の監督作品と相性が悪いのだろう(「おくりびと」の時もそうだった)。

でも別に、この映画の悪口を言うつもりはないので、単なる感想として軽く受け止めて、ご容赦いただきたい(この映画が好きな方、ゴメンナサイ)。

もちろん、中井貴一と佐藤浩市は、とてもとてもイイので、それは間違いない! と断言しておこう。

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執筆
神戸市の生まれだが、東京での暮らしも、すでに、ン十年。 根っからのテレビ好きで、ステイホーム中も、テレビがずっとお友だち。 時代劇と宝塚歌劇をこよなく愛している。
イラスト
1994年、福岡県生まれ。漫画家、イラストレーター。第71回ちばてつや賞にて「死に神」が入選。漫画雑誌『すいかとかのたね』の作家メンバー。散歩と自転車がちょっと好きで、東京から福岡まで歩いたことがある。時代劇漫画雑誌『コミック乱』にて「神田ごくら町職人ばなし」を不定期掲載中。