ブラジルの治安は徐々に悪化し、吉澤まりえ、ついに帰国することになりました! コロナウイルスにどうやって世界が立ち向かっているかを紹介する『VSコロナ ブラジル編』。最終回となる今回は、実際にブラジル・サンパウロから日本へ帰国するときにどんな関門・障壁があるかレポートします!
VSコロナ ブラジル編
カーニバルの終わりに
今回はサンパウロから日本への帰国をレポートしたいと思います。
3月末に会社から家族の帰国許可が出たことにより、私は単身日本へ帰国することを決めました。
サンパウロは日本の完全な真裏なので、帰国には最短でも30時間近くかかります(乗り継ぎ含む)。
既にブラジルでは外国人の入国を禁止している(家族がブラジルにいる人などは除外)ので、飛行機の便数は激減しており、通常数多くの航空会社が就航しているにも関わらず運休している航空会社が多くなっています。中には予約していたフライトが直前にキャンセルされ、以後運休という憂き目にあった知り合いもいました。
私は実家が千葉にあるため、成田空港から帰国できる航空会社の中からカタール航空を選び、4月10日のフライトで帰国しました。
中東経由の場合サンパウロを出るのはド深夜で、0時過ぎに空港にチェックインします。夫が普段車で通勤しているため、夫の運転で空港まで向かいました。ちなみにサンパウロの日系企業ではドライバーがつくことが多いので駐在員自身が運転することは多くありません。
タクシーでは窓ガラスを割られて襲われることが度々ありますが、夫が運転する車はガラス、車体、タイヤ全て防弾処理が施されているため、万が一襲われても安心です。ちなみに防弾車はドアがめちゃくちゃ重いです。
普段車でいっぱいの駐車場もガラガラで、チェックインカウンターもカタール航空以外は開いていませんでした。乗客のほとんどはアジア人で、日本人、韓国人、ベトナム人を含む30~40人程度だったと思います。
機内もガラガラなので、シート1列を使ってくの字に横になり、ほとんどの飛行時間を寝て過ごしました。乗務員の方々も全員マスクに手袋を装着しており、機内食もすべて蓋付きの容器や袋に梱包された状態で配られます。
ドーハに到着後はほとんど待たされることなく降機し、乗り継ぎ手続きをします。ドーハの空港もほとんど人気はなく、免税店や飲食店も閉まっていました。
ドーハ−成田間はさらに乗客が減り、20〜30人程度だったと思います。ほとんどが日本人です。ここでも1列貸切状態で横になって睡眠をとり、iPadにダウンロードした動画を見るなどして過ごしました。
成田空港に到着する前に、機内で入国に関する書類が配られます。通常の税関の書類とは別に、PCR検査の案内や同意書が含まれます。日本では4月2日以降、海外からの入国者に対する水際対策が強化され、検疫対象国からの入国者には空港でのPCR検査が義務付けられています。検疫対象国とは外務省の感染症危険情報レベル3に指定されている約70カ国で、ブラジルも含まれています。
PCR検査を受けた後は、自宅または政府の指定する施設で結果を待つことになります。自宅へ帰る場合は公共交通機関を使わずに帰ることが条件で、家族が車で迎えにくるか、レンタカーまたはハイヤーで帰るのが一般的です。
それが難しい入国者は政府が指定する空港周辺のホテルを自分で確保し、そこで結果を待つか、空港内で待機することもできます。
成田空港に着陸後、そのまましばらく待機し、1時間後にビジネスクラスの乗客、エコノミーで子連れの乗客、その他の乗客、という順番で降機しました。私は最後だったので2時間ほど機内で待ちました。
カタール航空では有料で機内wifiを使えるのですが、着陸した時点で無効になるため日本の携帯を契約していない場合は通信手段がなくなります。
機外に出ると職員の案内で廊下に一定の距離に設置されたパイプ椅子に座り、検査の順番を待ちます。検査ではまず公共交通機関を使わず自宅に帰れる人が優先的に案内されます。機内で書いた書類を職員と確認し、その場で検温、PCR検査という流れでした。
そもそも乗客が少ないので行列することもほぼなく、45分程度で検査を受けることができました。その後トランクを各自回収し税関を通って空港の外へ出ます。家族が車で迎えに来てくれたので、職員に確認し、そのまま帰宅しました。
私は検査結果が出るまで同居する家族との接触も心配だったので自室に引きこもり、ただひたすら配膳されるご飯を食べ続けるという子供部屋おばさん生活を続けました。帰国して7日後にメールで陰性の結果が届きましたが、空港内や指定施設で待機する方はもっと早く結果が通知されるようです。
14日間の隔離期間も無事今日で終わり、肩の荷が下りた思いです。
この感染がいつまで続くのか、ブラジルに戻るのはいつになるかなど不安に思うことは多々ありますが、晴れたサンパウロの公園をまた夫と一緒に歩ける日を夢見て、毎日を粛々と過ごしていきたいと思っています。
長くなりましたが、3回の連載をお読みいただきありがとうございました。海外の実情を知るきっかけになれたらと思い書き始めましたが、自粛期間のお暇つぶしにでもなっていれば幸いです。どうぞ皆様ご自愛ください。