前回は、子どもの頃からの夢、「日本」と「絵の仕事」への想いを中心にお話をうかがいました。第2回は、イラストレーターの仕事についてのお話です。
『なぞなぞショッピングモール』と、ビオレッティ・アレッサンドロ
子どもの頃からの2つの夢
※2019年夏のインタビューです。予定より大幅に遅れてしまいましたが、2022年9月に「なぞなぞショッピングモールでおかいもの」の発売が決まりました。
自分のスタイルを探して
美術学校を卒業されて、アシスタントをやめたあとは、どうされたのですか。
自分の絵のスタイルを探そうと、とにかくひたすら家にこもって絵を描いていました。友だちをなくすくらい(笑)。でも、日本人って山ほど仕事をするイメージがあったので、日本に行ったらこんな感じかなと思いながら(笑)。
日本にそんなイメージが(汗)。日本も最近は「働き方改革」なんて言われていますけど。イタリアでは、仕事よりプライベートを大事にする人が多い印象があります。
北イタリアでも南イタリアでもプライベートを優先するけど、北イタリアの方がプライベートだけでなく、仕事もとても大切にする人が多いです。
トリノは北イタリアですよね。
ええ。でも、うちの父は北の人だけど、仕事に対してはあんまり情熱を燃やさないタイプだったので、仕事熱心な祖父にいつも怒られてたイメージがあります。
おじいさんは、仕事熱心なタイプだったのですね。アレッサンドロさんは、おじいさん似だったのでしょうか。
祖父は10代の頃から、肉屋さんに始まってさまざまな仕事を経て、最後に新聞社に勤めました。厳しくて苦手だったけど、とても頑張り屋で。大人になるにつれて、かっこいいな、彼みたいに仕事をしたいなと思うようになりました。
イラストレーターへの一歩
日本に短期でいらっしゃっていたときのことをうかがえますか?
日本で、お父さんって呼べるくらいの人と知り合って。大きな出会いでした。デザイン事務所で、カンプライター※などをしていらっしゃった方なのですが、本当にいろいろなところに連れていってくれて、昔からつながりのあるお知り合いなども紹介してくれて。ありがたかったです。
※カンプライター:企画の段階で、クライアントへ提出する紙面イメージを専門につくる人。
そこで紹介された方から、お仕事につながっていったのですか?
いやいや、そんなに簡単には。まず、活躍しているイラストレーターやギャラリーなどで、絵を見てもらいました。
第一線で活躍されている方からのご意見は、とても貴重ですよね。どんな反応がありましたか?
いろいろ勉強になりました。『イラストレーション』(玄光社)という雑誌の当時の編集長には、結構厳しいこともいわれました。でも、次も絶対見せてやろうと思わせてくれる人で。
何かヒントとなることを得られたのでしょうか。本気で向き合ってくださる方に出会えたのですね。
日本でいろいろな刺激を受けて、イタリアに戻ったらまた一生懸命自分のスタイルを探して描きつづけました。そうこうしているうちに、ちょこちょことイラストの依頼が来るようになったんです。今みたいにネットの環境がそんなに整っていたわけではないので、本当にちょっとずつやりとりして。
そして、いよいよ日本に長期滞在と。
ようやく日本に住めるようになったのは、2015年5月からですね。きっかけは絵本を1冊作ったこと。そのときの担当の編集者が動いてくれて、1年のビザがおりました。1年後、ビザが切れる頃にデザイン会社に入り、そのまま日本に。
きっかけは絵本なんですか。日本に住んで2年目からは、会社員としてのデザイナーの仕事と、フリーでのイラストの仕事と、二足のわらじを履かれていたわけですね。
雑誌のイラストやネットの広告とか、グッズのイラストとか。今年、ようやく絵だけでやっていけるようになり、イラストレーターとして独立しました。
絵本の製作についてのお話は、第3回でくわしくお話うかがわせてください。