asatte RALLY 2025 最終日「今日子の部屋の窓」
イベントレポート 後編

6月4日から約1か月にわたり行われた「asatte RALLY」。最後の催しとなるトークイベント「今日子の部屋の窓」が、6月26日(木)に下北沢の北沢タウンホールにて開催され、イベント後半では、中山忍さんをスペシャルゲストに迎え、絵本の朗読が行われました。
かなしみを分け合って。『くまとやまねこ』の朗読劇。
休憩後、「まもなく朗読がはじまります」というアナウンスとともに、真っ暗だった舞台にスポットライトが灯ります。すると小さなくまのぬいぐるみと鳥のオブジェがちょこんと向かい合う姿が浮かび上がりました。

中山美穂さんの「Neuf」が流れ、音が消えていく余韻の中で、中山忍さんの朗読が静かに始まりました。

中山忍 俳優・歌手。東京都出身。1988年、ドラマ『オトコだろっ!』(フジテレビ系)で俳優デビュー。出演映画『ガメラ~大怪獣空中決戦~』では日本アカデミー賞優秀助演女優賞などを受賞。以降、ドラマ・映画・舞台等幅広く活躍。2023年にはデビュー35周年を記念し、三十数年ぶりとなるライブやバスツアーを開催した。
この日、朗読された物語は『くまとやまねこ』(湯本香樹実:文 酒井駒子:絵/河出書房新社刊)。
愛する友をなくし、深いかなしみに沈んでいたくまが、やまねことの新たな出会いをきっかけに一歩を踏み出すお話です。くまを中山さんが、やまねこを小泉さんが読みました。

ひとつひとつ思い出をたどるように、静かに朗読していく中山さん。ときおり涙をにじませながらも、その声はやさしく、あたたかく、会場にふんわりと広がっていきました。客席からは、すすり泣く音も。

飄々とした雰囲気の中に、どこか頼もしさと優しさを感じさせるやまねこ。その姿が、小泉さんの声にぴったりと重なっていました。まさに、小泉さんそのものです。


くまと、

やまねこ
最後にもう一度書名が読み上げられると、会場には大きな拍手が長い間響き渡りました。

ありがとうございます。これは河出書房新社さんから出ている絵本なんですけれど、脚本家・小説家の湯本香樹実さんが文を、酒井駒子さんが絵を手がけた、とても素敵な作品です。
この絵本を、忍さんが「いつか私と朗読してみたい」と言って持ってきてくれたんです。
それで、「いつかじゃなくて、すぐやろうよ! ちょうど26日にトークショーがあるから、ゲストで来てもらって、みんなの前で読んだ方がいいんじゃない?」と提案しました。
そんな流れで、まずはやってみようということになり、今日こうして実現しています。
忍さん、ありがとうございます。

こちらこそ、ありがとうございます。

今回、この朗読が決まったのはチケットの発売後だったんですけど、その時点でもう完売しちゃってて。
だから、大勢の忍さんのファンの方々や美穂さんのファンの方々に、まだ聞かせてあげられていないのがちょっと残念なんです。だから、また企画しましょう。
「くまとやまねこ音楽団」になっちゃったから。色々やりましょうね!

いいですか。ぜひ!

さあ、またひとつドアを開いて、歩き出しますかね。ゆっくりとね。

最後にもう一言だけ話してもいいですか。私、姉を亡くして本当にどうしていいかわからなかったんですね。そんなときに、小泉今日子さんという方が私の人生の中にどんと衝撃的に登場してくれて。
今日は未来を思う気持ちと前に進む勇気を、今日子さんと、この場を与えてくださった明後日さんのみなさんと、聞いてくださったお客様にもらいました。
明後日さん、10年間、在ってくれて本当にありがとう!!

変わってきたから続いてきた、明後日のこれから。

明後日、10年間。嘘のようですけど、何とかやってこられました。続けることって、大変だけど、変化していくことだと思うんですよね。変わらないから続いたのではなくて、変わってきたから続いてるんだと思うんです。だからこれからも変化を恐れずに、アップデートしながらたくさん仲間も増やして、またみなさんと楽しめる機会を作りたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
最後に幸せのおまじない!みなさん両手をあげてください。そのまま手のひらを頭の上に。昔は「なんちゃって」だったポーズが、今は「ハート」です!

「LOVE!ありがとうございます」
そう言って、フロアをLOVEでいっぱいにしながら、ステージを後にする小泉さんでした。
明後日さんのこれからに、ますます期待が高まります。10周年、おめでとうございます。

中山忍・小泉今日子スペシャルインタビュー
ー改めて、『くまとやまねこ』をおふたりで朗読する企画のきっかけは?

ご存知かと思われますが、姉が永眠いたしまして、悲しみからなかなか立ち直れずどうしていいかわからないときに、崔洋一監督のパートナーでヘアメイクの青木映子さんが絵本と手作りのくまちゃんをプレゼントしてくれたんです。私は十代の頃からずっとヘアメイクを担当してもらっています。

この絵本の主人公をイメージしたくまちゃんなんですよね。


この絵本が、この半年間すごく私を支えてくれたんです。
今日子さんに初めてお会いしたときは、もう何をしてても泣いちゃうし、何もしてなくても泣いちゃう、みたいな時期でした。自分自身のことや仕事のこと——この先何をやりたいかも全く考えられないときに、今日子さんは私の悲しさとか寂しさを共有して、半分持ってくれて。「何か、一緒にやれたらいいね」って言ってくださったんです。「ああ、嬉しいなあ…」と思ったときに、この絵本が心に浮かびました。
私、最初はこの絵本が読めなかったんですよ。1ページ目からことりが死んでしまうので、悲しくて「もう無理だな」と思って一度本を閉じて温めていました。しばらくしてまた開いて、頑張って読み進めていたら、今度は森のどうぶつたちが「もう忘れなきゃいけない」って言うじゃないですか。そこでまた本を閉じて、温めて…(笑)
3度目にもう一度開いたときに、やまねこが登場したんです。そこからは全部読みました。何度も読んで、今日子さんを思い出したんです。「あ、やまねこ、いた!」って。なんかぴったりですよね。

昼寝してそうだよね、木陰でね(笑)

私の中の今日子さんは、本当にこの絵本に出てくるやまねこそのままでした。悲しくて、もうどうしていいかわからないときに、私の人生にバーンと登場して来てくれて、「新しいところに一緒に行こう!」って言ってくれて。

それで3回目ぐらいに会ったときに、忍ちゃんが『くまとやまねこ』を私に見せて「これをいつか今日子さんと朗読したい」って真剣な表情で、ね。

思い詰めた感じで「お願いがあるんですけど、この本を…」と。そうしたら今日子さんは読んだことがあったんですよね。

そう。だけど、あまりにも真剣だったから知らないふりしちゃったの。「へえ!じゃあ読んでみるね」って(笑)
それは、どうして読みたかったのかを説明してくれそうだったから、その言葉を止めたくなくて。「あ、知ってる!」って言ったらその気持ちが終わっちゃいそうだから、ちょっと演技しちゃった。

全然わからなかった!

そう、詐欺師になれるぐらい熱演だったんですよ。それでおうちに帰って私も、もう一度読んで「ああ、これはそうだろうな」と。この物語はまさに、くまが忍ちゃんでことりが美穂なんですよね。
忍ちゃんは突然、大事な人を亡くしてしまった。あまりに突然すぎて、その気持ちをどう自分の中で消化していいかわからない状態が、もう何ヶ月も続いているんだろうなと思いました。
それで「ちょうど6月に私のイベントがあって、最終日にチャンスがあるから、そこで1回やってみよう」と提案したんです。そうすれば、今後これをもっと膨らますこともできるし他の物語を探してもいいし。いろんなことができるようになるから、まずやっちゃうことが大事かなと思って。
「asatte RALLY」の最終日の催しを私のトークショーにすることだけは決まっていて、何も用意せず、ステージにただ椅子がひとつあるイメージでした。それでみんなとも話をして、2時間あるから全く問題なくできると判断し、朗読をすることが決まったんです。

そこがすごく早かったんですよね。「6月は忙しい」と仰っていたので、「そうですよね、いつできるかな…」と思ったら、あれよあれよという間に今日になって、今ここにいる、みたいな(笑)

ーおふたりがこれまで接点がなかったというのが意外でした。

そうなんですよ。私と美穂は、美穂の方が後輩ですが、同じ時代だから一緒に仕事をすることも多かったし、美穂がパリに行くまではいっぱい遊んでいました。家に泊まりに来たり、旅行にも行ったりと結構密にしていましたね。
その後パリに行っている間に私の人生も変化しました。もう日本に帰ってきてるのは知っていて、ちょこちょこニアミスはしてた。ライブを見に来てくれたのも知ってるけど、コロナ禍で面会できなかったんです。「でも、どうせそのうち会うし」と思っていたら、いなくなっちゃったっていう感じなんですね。
だから美穂にしてあげたかったことが、確実に自分の中にもあって、それが美穂ではないけれど、今こうして忍さんと出会って、こういう時間が少しでも持てれば、私も救われるっていうかね。そんな感覚なんです。

私、ちょっと図々しいところがあるので、この間今日子さんに確認したんです。
「美穂のことを妹みたいに思ってくださってるじゃないですか。だから、美穂の妹の私も今日子さんの妹ってことでいいですか?」って(笑)

そう。「じゃあ三姉妹だね」って言いました。

ー小泉さんとの出会いはすごく大きかったんですね。

この間、マネージャーと話してたの。6月6日はちょうど姉が亡くなってから半年だったので、「ねえ、半年間どうだった?長かった?」って。私はもうおそろしく長く感じていたんですよ。でもマネージャーが「今日子さんが登場してから、すごく時間が早く動き出した」と言って、私も本当に同じように感じていました。だから私も今日子さんにすごく救われたんです。

そうでしたか…。

姉は、私と九つ下の弟に、事あるごとに「忍と弟のことはお姉ちゃんが守るからね」と言ってくれていたんです。今日子さんに初めてお会いしたときに「その言葉を真に受けて生きてきちゃったから、本当にもうどうやって生きていっていいかわからないんです」と伝えたら、「じゃあ、頼りにして!」って言ってくださいました。それで私はダーッと泣いて…(笑)
普段私は「これしてほしい、あれしてほしい」と素直に言えないんですけど、今日子さんはだめなときや無理なことに対しては、ちゃんと言ってくださる方だと思っているので、何でもまず相談してみることにしています。
今日の朗読についても、みなさんに見ていただくものではありますけど、「まずは自分のためにやりたい。後に、大丈夫になったら、誰かのためにやりたい。そういう作品です」とお伝えしました。

でも、それはきっと読んだ時点で誰かのためにもなることだと思うから。とにかく今、忍ちゃんが悲しみから抜け出るためにできる行動だったら何でもしてみようっていうことで。
ー悲しみがなくなりはしないですけど、新たに進むきっかけがあるといいですよね。

たぶん多くの美穂さんのファンの方々も同じ気持ちで日々を生きてるんじゃないかな。この間、追悼コンサートがあって、私も1曲だけ…歌うというよりは、みんなに歌わせに行った感じなんですけど、参加しました。こうしてセレモニーがいろんな場所で行われることで、ひとつひとつみんな乗り越えていくしかないのかなと思う。
あと、忘れないでいるということがすごく重要だから、そのセレモニーとしても考えていきたいですね、お姉ちゃんのことを。
ーセレモニーといえば、美穂さんのお別れ会での弔辞がすばらしかったです。いちばんのプレゼントですよね。

すごく嬉しかったです。「中山美穂のトリセツ(取扱説明書)」の、ひとつひとつに「そうそうそう!」って。あの瞬間も「すごいプレゼントをもらったな、こんなにお姉ちゃんのことを深く理解してくれる人がいたんだ」と思いましたね。
お別れ会のときは、本当にたくさんのファンの方々が来てくださいました。みなさん、大きなキャリーケースをガラガラ引いて、遠くから駆けつけてくださって。まっしぐらにお姉ちゃんに向かっていく姿に、もう「悲しい」っていう気持ちが本当にあふれていたんです。
その姿を見て、「わかる。悲しいよね、寂しいよね」と、自然に気持ちが重なって。同じ気持ちを分け合えたような感覚がありました。
悲しみを今日子さんも半分持ってくれたし、ファンの方たちとも共有できたことで、私はすごく救われたんですよね。
そういう意味でも、朗読をやらせてもらいたいと思いました。今は自分のために。でも近い人を亡くされた方は私だけじゃなくて、いろんな方が悲しい思いをされていて…だけど、大人だから言わないじゃないですか。

うん。大人だから「わーっ」とは泣かないけど。でもみんなちょっとずつ本を読んだり、友だちとゆったりした時間を過ごしたり、そういうことをしながら、ゆっくりゆっくりさよならを言って、それで、なんとか立っているという感じがしますよね。
美穂さんのファンの方の中には、私のことも好きって言ってくださる方もいるんですね。「追悼ライブに来て歌ってくれてありがとうございました」とか「ずっと泣いてたけど、一緒に歌えて笑顔になれたから、少し前に進めたかも」と言ってくれる方もいて、さっきも「お礼をしたかったんです」ってお手紙をもらいました。
だからみんなでね、ゆっくりさよならを言いながら新しい扉を開けて。

そうですね。

きっと忍ちゃんにとって、お姉ちゃんはこれまで近いけど、どこか遠い存在だったんだと思う。でも今はある意味、お姉ちゃんを独り占めできる時間もできて、むしろすごく近くにいるんだと思うんだよね。その中でお姉ちゃんの代わりにみなさんに伝えたい言葉が生まれたりして。
そうやってぐるぐる変わっているんだろうなと感じます。

うん…そうです。

朗読をやることも、きっとお姉ちゃんとの思い出を抱きしめるという意味もあるだろうし、自分が歩いていくために一歩前に進みたいっていう理由もあるだろうし。

そうですね。でも本当にひとりじゃできなかったんですよ。私の人生に小泉今日子という人が衝撃的に登場してきてくれたので…。

「やればいいじゃん」ってね(笑)

―驚くほど一気に進むことで、殻を破れることもありますよね。

考えてると、どんどん行動するのが怖くなっていっちゃうんですよ。怖くなって、もう諦めちゃおうかなって。多分美穂はそういうことがすごく多かったと思うんです。

…うん、そう。そういう人なんですよね。なんか我慢しちゃって。

ねー!

最初は「やりたい!」って思うんだけど、それをみんなに話して「現実的に無理じゃない?」って言われちゃうと、しょぼんとして「そうか、私が我慢すればいいんだな…」みたいになっちゃうところがある。優しいから。

泣いてね。

そう。だからもっともっと頻繁に会って、美穂のやりたかったことをいっぱい叶えてあげたかったなってすごく思ってる。「もう見てなさい、怖くないうちにやっちゃうんだよ!」って、もっと早く手伝ってあげたかった。

本当はいろいろできたはずなのに、やっぱりどこか怖かったのかもしれないし。

事務所に入っていると、世界を広げようとしても「やめときなさいよ」ってなったりしがちじゃない。そこで止まっちゃってたことがいっぱいあったのかなと思って。
…本当にやる気がみなぎってたらしいんですよ。「40周年でやっとちゃんとツアーができる」って言って声も調整したりして。ここからだったと思うと本当に残念なんですよね。
ーこれからはおふたりで他にもいろんなことをやってくださいますか。

何か企画を考えたいんですよね。私はあの日からオタク度がメキメキと上がっていて、今、中山美穂研究家になっています。
美穂は歌うし、演技もする。そして意外と文章も残しているんです。映画は100年残るものだから100年後の人も観られると思うし、音楽も音源化されているからずっと聞けるし、トリビュートでいろんな人がカバーして残っていくと思うので、私は文章の方を研究してみたくて。
美穂は詞も書いたし、エッセイや小説も残しているので、今ちょっと古本を買い集めてるんです。文章を抜き出して、コラージュみたいなこともしてみたいです。

ー小泉さんは朗読を積極的にやられている印象がありますが、中山さんにとって朗読はどういうものですか。

そうですね。「やったことがある」という程度で、こんなにちゃんと「この作品をやりたい」と思ったことが今までなかったんですよね。もちろん舞台ではひとりで何役も演じることもありますけど、私はこれまで、ひとりの人間の人生を演じることをずっとやってきたので、新しいチャレンジだと思っています。

この間の「続・こころ踊らナイト」も見に来てくださったんですけど、「DJというものを、生まれて初めて見ました」って(笑)

そうそう!「おお、こういう世界があるのか」と。今日子さんには「何やって生きてきたの?」って言われました(笑)

だから私は絵本のやまねこのように、忍ちゃんをこれからいっぱいびっくりさせたいなって思ってます。

