引っ越しまで、残りの土日が3回になったので、本棚から本を出している。ほこりをはらい、乾拭きして、ダンボールに詰めていくのだけど、引っ越したあとのことも考えて、児童書、小説、写真集など、あらかじめ分けておきたい。けれども、洲之内徹のエッセイの横に、長谷川潾二郎の画集を置くのもいいなあ、など悩むことも多い。
そんなふうにしていたら、ねこが出てくる絵本のコーナーができた。コーナーをつくっている場合ではないけれど、絵本たちがのどをごろごろ鳴らして集まっているようで、満足だ。実際のねこが一匹一匹ちがっているように、絵本のねこたちにもそれぞれ個性があって、忘れがたい思い出をもらってきた。ちょっとだけ本を開いてからしまおうか、と思う。大好きなねこたちと会っておこう。
黒い線で描かれた街が存在感を放っているのは、バーナード・ウェーバーの『Rich Cat, Poor Cat』。
表紙の絵の中で、歩道にちょこんとすわっているのが、のらねこのスキャットだ。このお話のほとんどは、「Some cats 〜(こんなねこもいる)」と飼いねこを左ページに描き、右ページに、対するスキャットの暮らしを描くことに費やされている。
たとえば、「やわらかい枕で寝るねこもいる」に対して、「スキャットは路地の固い敷石が枕だ」とある。
「アーネスティンやココといった名前をもつねこもいる」に対して、「スキャットは『SCAT! SCAT!(しっしっ!)』と呼ばれる」。
「ツヤツヤの車で出かけるねこもいる」に対して、「スキャットは自分の足で出かける」。
「お皿に出てきたご飯が気に入らないねこもいる」に対して、「スキャットはなんでも食べる」(ゴミ箱をあさる絵)。
この対比が、なんと19見開きもつづく! その間、スキャットには悲壮感がない。飼いねこも、のらねこのスキャットも、登場するねこたちは真っすぐに生きている。
でも、作者はどうしてこんなにも対比することに力をそそいだのか。
19見開き目は、飼い主と一緒に、海外旅行をするねこが描かれ、「ヴェニスでゴンドラに乗ったり、リビエラで日光浴をしたりするねこもいる」とある。対してスキャットは、路地裏のアパートの屋上で気持ちよさそうに寝ている。そして、「ここはリビエラとまではいかないけど、同じ太陽だ」。
太陽は平等。なんだか深く感動して、ページをめくる手が止まる。この言葉にはげまされながらも、泣きたくなるのは、明るさと同時に孤独を感じるからだ。
思えば、雨の日だけ、スキャットはさみしそうだった。今まで読んできたページが浮かんで、考える。「どうしてこんなに違いがあるのだろう」と。そうだ、この問いを子どもたちの心に届けるために、作者は、19見開きという遠回りをしたのではないだろうか。
その後、残りの数ページで、スキャットにはささやかな出会いがおとずれる。
この本は絶版になっている。コピーライトを見ると「1963年、アメリカ合衆国」とあった。手に入りにくいかもしれないが、ここから先は読書のお楽しみにとっておこうと思う。
読んでよかった。これでダンボールにしまえる。太陽が光をそそぐように、スキャットが、だれかから愛情をたっぷりそそがれますように。