「脳梗塞になっちゃった!」第6話です。和子さんは、先生や看護師さんたちと触れ合いながら、真面目にリハビリを続けます。症状は軽くて済みましたが、決して、脳梗塞という病気を軽んじてはいませんでした。
脳梗塞になっちゃった!
突然、蛇口をひねったように…。
リハビリは、運動だけで終わらなかった。
次は、I先生の番だ。作業療法というのだろうか、テキストの中から特定の文字だけを探したり、たくさんのパターンの図柄から見本と合致するものを指摘したり、色の付いたマッチ棒のようなピンを左手だけを使って取り、見本通りに盤に刺していく……など、単純だが根気と集中力がいる作業をいろいろやった。
和子さんの場合、脳梗塞の場所が右後頭部だったので、左半身の機能がやや落ちていた。どれもパズルの延長のような作業ばかりだったので、和子さんは、結構、楽しみながら取り組むことができた。
病室で昼食を済ませた後、大きな窓辺に座って、道行く人たちを眺めていると、3人目のY先生が病室まで来てくれた。Y先生の担当は言語療法だ。
プリントの「あいうえおの歌」や「きゃきゅきょの歌」を声に出して読み上げる。やっぱり、言いにくいところがたくさんある。何度も練習あるのみ。口周りの筋肉の運動にはいろんな型があって、Y先生が絵に描いて説明してくれる。その絵は妙に愛嬌があってかわいらしいので、和子さんはつい笑ってしまって、なかなか練習にならない。まったく困った患者だ。
Y先生が帰った後は、ほかにすることもないので、苦手な部分を練習した。早く元気になりたいと真摯に思っていた。
翌朝9時頃、看護師さんがリハビリに行くようにと言う。「あれ、今日は休みじゃ…」と思ったが、指示通り、リハビリルームへ向かう和子さん。だが、一人で行く自信などない。
記憶にあった目印をたよりに、長い廊下を過ぎ、エレベーターに乗って目的のフロアへたどり着く。だけど、どこにリハビリルームがあったか思い出せない。ナースステーションで聞いて、ようやくリハビリルームへ。
リハビリルームを覗くと、先生たちが「あれ?」という顔で和子さんを見る。「N先生に明日は休みだと言われたんですけど、看護師さんが行けと言うので…」と説明すると、男の先生が「また、やったな」と言ってパソコンの中の予定表を確認した。「やっぱり。間違えて入れてある」と笑った。「N先生、美人なんだけど、そそっかしいんだよなあ」…だそうだ。
さて、どうしたものかと思案していると、A先生が「せっかく来たんだから、少し歩いてみましょう」と言って和子さんを連れ出し、周回する長い廊下を一緒に歩いてくれた。「よく一人で来られましたね」「途中で迷っちゃいましたけど…」などと話しながら歩く。A先生は若い男の先生だ。担当でもないのに随分親切な人だと思う。廊下をぐるっと回ってから、帰りのエレベーターの前まで連れて行ってくれた。
病室での和子さんは、暢気にテレビを見たり、パソコンのゲームで遊んだり(パソコンは、義兄が和子さんの自宅から持ってきてくれた)、会社のLINEでやりとりをしたりと、自由に過ごしていた。でも、午後の決まった時間に病棟のフロアを散歩して、足を動かすことだけは忘れなかった。
ある日、いつもと同じようにフロアを歩き回っていると、ナースステーションの前で、声をかけられた。呼び止められたという感じだ。
和子さんを呼び止めたのは、車椅子に座った…というか、ハーネスのようなもので車椅子に結わえ付けられた男性だった。彼は、毎日、日中はナースステーションの前で過ごしているようだった。40代後半から50代前半くらいだろうか、整った顔立ちの男性だ。
彼は、一生懸命、和子さんに話しかけようとしていた。だが、残念なことに、うまく話せず、「あー…、うー…」と唸り声のような言葉しか出てこない。おそらく彼も、脳に損傷を受けたのだろうと思った。それも、かなりひどく…。和子さんは、どう対応していいかわからなかった。
でも何となく「何をしているのか」と聞かれたようだったので、「早く元気になれるよう、歩いているんです」と答えた。彼は考え込んでいる。何か伝えたいことがあるのだろうと思い、しばらくそばにいると、彼がここを、病院を出ていきたがっていることが和子さんにはわかった。
不自由な体をよじりながら訴えている。「そうですよね。元気になりたいですよね」と伝えた。安直な言葉だと思った。だが、彼の状態を目の当たりにすると、軽々しく「あなたも頑張って」などとは言えなかったのだ……。
「じゃあ、もう少し歩きますね」と言って、和子さんは、車椅子の彼から離れた。そして、「早く退院できるように頑張らないと…」と強く思い、再び歩き出した。