“結婚”はだれのもの? 2022
「結婚」という言葉から、どんなことを思い浮かべますか。きっと人によってさまざまだと思います。そして、今の日本には、世界の多くの国で認められていながら、いまだに法的に認められていない「結婚」があります。
同性婚と憲法
2019年2月、13組の同性カップルが、それぞれ、札幌、東京、名古屋、大阪の地裁に「同性婚を認めないのは憲法違反」と訴え、国を相手に裁判を起こしました。同年9月には福岡で、2021年には東京で第二次訴訟も始まりました。そして2021年3月、札幌地裁で、この一連の裁判の最初の判決がでました。この裁判と判決については、「JUNE PRIDE “結婚”はだれのもの?」に記しています。
2022年6月20日、上記裁判の2例目となる判決が大阪地裁より言い渡されました。大阪地裁の判断は、札幌地裁とは異なっていました。
2021年3月の札幌地裁の判決で、大きなポイントとなったのは、同性婚を認めない現行の制度は、憲法14条に反する「違憲」であると判断したことでした。以下対象となった14条1項の条文です。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
札幌地裁の判決では、「性的指向」のように「人の意思によって選択・変更できない事柄」により、異性愛者が受けることができる、「婚姻によって生じる法的効果」(結婚によって得られる法的な身分や保護)を受けられないことは「合理的根拠を欠く差別取り扱いに当たる」と結論づけています。
一方大阪地裁は、同性婚を認めていない現在の制度は「憲法に違反するものとは認められない」ため「合憲」であると判断し、訴えをすべて退けました。この判断の差は、どこから生まれたのでしょうか。
過去の判断が現在をしばる?
婚姻について、憲法では、以下のように定められています。札幌地裁、大阪地裁のどちらの判決も、同性婚を認めていない今の制度が、この条文に違反しているとは認めていません。その理由は、婚姻に関する憲法第24条は、婚姻は男女の間、つまり異性間で行われることを前提にしていると解釈されているためです。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
日本で、婚姻が法制度化されたのは、明治民法(1896年)においてです。この時点で、婚姻は男女がするものという前提で考えられていました。当時参照した諸外国の法律のなかには、同性婚を禁じているものもありましたが、起草者は、同性婚が認められないことは当然であって、禁止の規定を置くまでもないと判断したとされています。
その後も、憲法の制定(1946年)及び憲法の精神に基づく民法の改正(1947年)の議論のなかであっても、「婚姻」、夫婦関係は一貫して男女の関係と捉えられてきました。また、この頃は、異性愛以外は、医学的には、性的不適応の一種と考えられていたのです。
現在では、同性愛及び同性婚に関する考え方は大きく変化しています。しかし、現在の制度が憲法に違反するかを判断する裁判では、この前提条件、第24条が男女の結婚のみについて述べていることが、大きな位置をしめています。同性婚について触れられていない以上、この条文から同性婚を認めるべきという結論を導くことは難しく、またその事実は、同性婚が以下13条の「国民の権利」に含まれるかどうかという判断に影響するからです。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
札幌地裁、大阪地裁の判決とも、少なくとも現状に関しては、同性婚を認めない制度が、24条及びに13条に違反しているとは、判断していません。
婚姻と子どもを育てることとの関係とは?
今回の大阪地裁の判決には、もう1点、札幌地裁の判決と大きく違うと考えられるポイントがあります。それは、異性婚と同性婚を同じ制度とするべきかを議論する必要があると強調している点です。
判決では、まず、異性婚について以下のように述べています。
男女が生涯続く安定した関係の下で、子を産み育てながら家族として共同生活を送り次世代に承継していく関係として捉え、このような男女が共同生活を営み子を養育するという関係に、社会の自然かつ基礎的な集団単位としての識別、公示の機能を持たせ、法的保護を与えようとする趣旨によるものと考えられる。
この点に関しては、現行民法に上記内容の側面を認めながらも、以下のように明記した、札幌地裁の判断とは、随分ちがっているように思われます。
現行民法は、子のいる夫婦といない夫婦、生殖能力の有無、子をつくる意思の有無による夫婦の法的地位の区別をしていないこと、子を産み育てることは、個人の自己決定に委ねられるべき事柄であり、子を産まないという夫婦の選択も尊重すべき事柄といえること、明治民法においても、子を産み育てることが婚姻制度の主たる目的とされていたものではなく、夫婦の共同生活の法的保護が主たる目的とされていたものであり、昭和22年民法改正においてこの点の改正がされたことはうかがわれないことに照らすと、子の有無、子をつくる意思・能力の有無にかかわらず,夫婦の共同生活自体の保護も、本件規定の重要な目的であると解するのが相当である。
一方大阪地裁は、さらに次のように述べます。
異性間の婚姻は、男女が子を産み育てる関係を社会が保護するという合理的な目的により歴史的、伝統的に完全に社会に定着した制度であるのに対し、同性間の人的結合関係にどのような保護を与えるかについてはなお議論の過程にある。
その方法には様々な方法が考えられるのであって、そのうちどのような制度が適切であるかについては、現行法上の婚姻制度のみならず、婚姻類似の制度も含め、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因や、各時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた上で民主的過程において決められるべきものである。
つまり、伝統的に保護されている異性間の婚姻に対し、同性婚の形はまだ決まっていない。同性婚を保護するべきという意見は増えているが、例えば、同性婚に異性婚と同じ法制度を適応するのか、異性婚とは異なる別の制度を新たに設定すべきかといった問題について、十分に議論されてはいない、と述べています。
その結果、議論の過程の状態として、「異性愛者は婚姻ができるのに同性愛者は婚姻ができず、婚姻の効果を享受できない」という差異が生じていることは認めています。ただこの差異については、「議論も尽くされていない現段階で、直ちに本件諸規定が個人の尊厳の要請に照らして合理性を欠くと認めることはできない」ものであり、同性婚を現行の婚姻制度の対象とする以外の方法でも軽減・解消できるものであるため、少なくとも現状では、14条に違反する「合理的根拠を欠く差別取り扱い」には当たらないと判断しています。
未来をかえるには?
今回の大阪地裁の判決に関しては、現状すべてを「合憲」と肯定したことで、失望の声があがっているのは事実です。国会等での議論が進まないため、司法の判断を求めたことに対し、国民的議論が必要とただボールを投げ返し、司法が判断を放棄したとの意見もあります。
また、現行の「婚姻制度」を同性婚にも平等に開いてほしいという訴えに対し、それ以外の制度に関する議論を促すことは、同性婚と異性婚の間に「差異」を設ける発想であり、それが差別につながるという考えもあります。
さらに、「差別や偏見の真の意味での解消は、むしろ民主的過程における自由な議論を経た上で制度が構築されることによって実現されるものと考えられる」との判決文は、現在起きている「人権の問題」、今苦しんでいる人たちを「議論の途中」だからとして放置する姿勢ともいわれます。
ただ、24条について、以下のように言及している点は、注目してよいかと思います。
婚姻の本質は、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として公的承認を得て共同生活を営むことにあり、誰と婚姻をするかの選択は正に個人の自己実現そのものであることからすると、同性愛と異性愛が単なる性的指向の違いに過ぎないことが医学的にも明らかになっている現在(認定事実(1)) 、同性愛者にも異性愛者と同様の婚姻又はこれに準ずる制度を認めることは、憲法の普遍的価値である個人の尊厳や多様な人々の共生の理念に沿うものでこそあれ、これに抵触するものでない。
今後の社会状況の変化によっては、同性間の婚姻等の制度の導入について何ら法的措置がとられていないことの立法不作為が、将来的に憲法24条2項に違反するものとして違憲になる可能性はある。
上記は、同性婚を認めることは憲法の理念に沿うものであり、24条は同性婚を否定するものではない、また将来、同性婚(もしくは準ずる制度)に関して社会的な合意ができた段階で、それでも法整備がなされなければ、それは憲法違反になりうると読むことができます。
24条が制定された当時の過去は変えられなくても、そこに新しい視点を入れて、未来を変えていくことはできるはずです。例えば、訴えを起こしている人たちは、憲法の趣旨や婚姻や家族の在り方についての社会的な認識や変化を踏まえ、24条の「両性」を「両当事者」と解釈する主張をしています。
性には、戸籍上の性、生物学上の性だけでなく、自分が自分をどのようにとらえているかという性自認、どのような相手に恋愛感情をもつか、もしくはもたないかという性的指向があります。こうした多様な性のあり方は、ひとつのものさしではかって線引きしたり、誰かが答えをおしつけたりするものではありません。独立した、人それぞれ、一人ひとりがもつ「性」なのです。
あらゆる性のあり方をもつ人たちが、個人と個人として、自由で平等な結婚の権利もつこと。24条はそれを支えるものであってほしいと思います。
全国で行われる裁判はまだまだ続きます。今回の大阪地裁の原告団は、高裁への控訴を決めています。今後もその行方について、注目していきたいと思います。
札幌地裁・大阪地裁の判決については、以下で読むことができます。
札幌地裁
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=90200
大阪地裁
https://www.call4.jp/file/pdf/202206/fcfd435120ab01b70ba3f579de6df158.pdf
写真クレジット
Photo:Anna Shvets