時代劇に、キュン!
「大岡越前」の巻
この映画を初めて観たのは、BS放送だったと思う。そのときは、何気なく観始めた時代劇の一つに過ぎなかった…、はずだった。ところが、物語の展開にいつのまにか引き込まれ、背筋が伸びるような思いを感じながら、最後まで一気に観ることになったのだった。
「切腹」は、1962(昭和37)年に公開された映画だ。滝口康彦の小説『異聞浪人記』が原作で、橋本忍が脚本を書き、小林正樹が監督した。
小林正樹といえば、「人間の條件」「東京裁判」「食卓のない家」など、社会派として有名な監督だ。その監督が初めて作った時代劇、それが、この「切腹」だ。1963(昭和38)年の第16回カンヌ国際映画祭では、「HARAKIRI」のタイトルで上映され、審査員特別賞を受賞している。
2011(平成23)年には、三池崇史監督でリメイクが作られた。時代劇初の3D映画で、タイトルは「一命」。主演は、時代劇映画初出演となる市川海老蔵と瑛太だ。残念ながら、三池監督作品は残虐シーンの描写が本当に残酷なので、あまり得意ではない。
江戸幕府の体制が盤石になり始めたころのことだ。寛永七(1630)年、井伊家の上屋敷に、津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る浪人が訪れ、庭先での切腹を申し出るところから物語は始まる。井伊家の家老・斎藤勘解由(三國連太郎)は、以前にも似たような申し出をした若い浪人の話をすることになる。当時、浪人が大名家の玄関先で、切腹したいから場所を貸してほしいと頼み、断り切れない大名家が何某かの金銭を渡すという、たかりのような行為が流行っていた。それを苦々しく思っていた井伊家では、その若い浪人の申し出を受け入れ、切腹の場を設えてやる。思惑がはずれた浪人は、持っていた竹光で無理やり切腹させられるという無残な最期を遂げたのだ。庭先で、切腹の準備をして座る半四郎は、介錯人に井伊家の剣客の名を挙げ、その到着を待つ間に、自身の身の上話を始めるのだった。その話から、竹光で切腹させられた浪人が、半四郎の娘・美保(岩下志麻)の夫・千々岩求女(石濱朗)であったことを、勘解由は知ることになる。
“切腹”というと、武士の誉れ・武士道の鑑のように扱われることが多い。しかし、この映画を観ると、切腹そのものが、「武家社会」という仮面をつけた冷酷無比な集団と、武家の面目を建前に、己の権威を守ろうとする輩の愚策に過ぎないのではないか、というように思われてくる。
結局、津雲半四郎は、井伊家の家臣たちを何人も斬り、最後は鉄砲で撃たれることになる。しかし、死の直前、自らの腹に刀を突き立て自刃する。愛する者をすべて失った半四郎にとって、最初からすべて、死を覚悟しての行動だったのだ。
半四郎が井伊家の家臣を前に言い放つ言葉がある。
「浪々の身は他人事かもしれないが、明日は我が身のことやもしれぬ」と。
武士が、己の身を立てるかどうかは、ひとえに主家頼みだ。主家が改易にでもなれば、家臣はすべて浪々の身を余儀なくされる。
“武士の情け”という言葉がある。
切腹のとき、首をはねる介錯人がいるのもその表れだ。だが、千々岩采女には、介錯さえ与えられなかった。切れもしない竹光に無理やり腹を投げ打って突き刺したのだ。
情けにすがろうとする武士がいる。情けを持たない武士もいる。
情けなど無用と思っている者にとっては、他人への温情は、無為なものかもしれない。だが、“情けは人の為ならず”ということわざがあるように、他人への温情は、決して他人のためのものではない。転びかけた子どもや老人に、思わず手を差し伸べることは、意図して出来ることではない。その子どもや老人は、己の家族なのかもしれない。そう思えば、誰にでも優しくなれるはずなのだが…。まあ、私なんかが偉そうに言うことではないね。
「HARAKIRI」として認知された、この“切腹“という行為は、欧米人の目にはどういう風に映ったのだろう。「武士道精神」の一つとして認識されたのかなあ。でも、それはちょっと違うような気もする。普通に、娯楽の一つとして時代劇を観ている分には、それもありかなとは思うけど、こういう“社会派“の時代劇を見せつけられると、安易に考えちゃいけないのかな…とも思う。
あー。大好きな時代劇で、こんなに「武士の在り方」というものに直面しようとは思わなかったよー。でも、でもね。この映画は、機会があったら、たくさんの人に観てほしいと思っているのだよ。
脚本も素晴らしいし、仲代さんが何十人も相手に立ち回りをするシーンも迫力満点だし、敵役の丹波哲郎、青木義朗、中谷一郎も憎々しくて、とてもイイのだ。
まるで舞台劇を観ているような臨場感、そして緊張感。
これまで観たことがないような時代劇の世界を、ぜひ、味わっていただきたい。