
2016年に作品集『東京下町百景』を発表した”漫画イラストレーター”つちもちしんじさんと、その作品の題材となった東京・谷根千の新名所をめぐるシリーズ、最終回です。つちもちさんの「浮世絵」への思いに迫ります!

漫画イラストレーター・つちもちしんじが歩む新しい風景
ふたたび下町の風景

漫画イラストレーター。1979年東京生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動を開始。2016年『東京下町百景』(シカク出版)を上梓。2017年には同書のスペイン語版『100 vistas de Tokio』(Quaterni)がスペイン語圏で発売される。2018年にはロシアワールドカップの日本戦の試合日にGoogleDoodles を執筆。全世界に作品が表示される。その後、2018年フランス・パリで開催された『MANGA↔︎TOKYO』に出品。2019年には、フランス・トゥールで開催された『JAPAN TOURS FESTIVAL 2019』に出品。現在は、浮世絵を現代に蘇らせるという「下町百景×版画プロジェクト」に参加している。
公式サイト「侘寂ワビサビPOPポップ」
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イラストでも漫画でもなく

誤解を恐れずに言えば、漫画の線は、作家の手癖に近いものだと思います。誰か好きな漫画家がいて、それを真似して描きはじめることから漫画家になっていくわけです。でもそれは悪いことではなくて、作家が誰に影響を受けているのか、わかる人には分かるというところまで含めて、それこそが楽しみだと思うんです。

これは大塚英志とかが整理していることだと思いますが、漫画はそういう手癖というか、ある描線を「記号」として組み合わせること、それによって誰でも描くことができるというのが特徴ではあるという「マンガ記号説」※のようなことでしょうか。
※マンガ記号説=大塚英志は『教養としてのまんが・アニメ」(2001年、講談社。共著者にササキバラ・ゴウ)で、マンガの表現技法は「あらかじめ用意された絵のパターンの中から必要に応じて人物の表情や仕草を選んでいく」ことを特徴とするという「マンガ記号説」を提唱している。

漫画タッチのイラストもその延長線上にあって、「なんとなく手塚治虫のレトロさを感じるな」「高橋留美子のかわいい女の子の感じだな」といった感じかたがあると思うんです。なおかつ漫画以外の分野からも世界が足されていたりして、それを楽しむ。そうしたことのできる土壌を漫画の世界には感じています。

ふむふむ。具体例はパッと出てこないけれども、分かる気がします。

でもイラストレーションにおいては、根本的に今までにない線を探そうということになると思うんです。たとえば、描きにくいペンで描いてみたり、画材や紙を変えてみたり、なるべく今までの手癖から離そうとする。もはやペンから離れて、布に刺繍をしてみたり、金属を叩いたりするのでも「イラスト」になる。

となると、鑑賞や評価のありかたも違ってくるのですか?

そうですね。そうした違いがある中で、ぼくは漫画をベースにしようと思ったんです。でも、美大で勉強したことや、浮世絵といった、メインカルチャーとされるものを継いでいる自負もあって。だから両者を兼ねるつもりで「漫画イラストレーター」と名乗っています。

「浮世絵」を現代に蘇らせる

浮世絵という話をすると、つちもちさんは今年「下町百景×版画プロジェクト」に参加されているわけですが、こちらについてうかがえますか?

柏木隆志さんという方が版元兼彫師として立ち上げた、明治時代以来の新版画※と創作版画※の流れを統合しようというプロジェクトで、ぼくは絵師として参加しています
※新版画=絵師・彫師・摺師の分業体制を版元が牽引するという、伝統的な浮世絵版画と同じ制作手順で、明治30年前後から昭和時代にかけてつくられた木版画を指す。吉田博や川瀬巴水などの西洋画を学んだ絵師たちや、渡辺庄三郎などの版元によって制作された。
※創作版画=木版を商業的な量産の手段としてではなく表現手法として捉え、自画自刻自摺(ひとりの人間が原画、彫り、擦りを行う)を是としてつくられた木版画で、明治末期から大正期にかけて勃興した。

大錦 水性多色木版(和紙:越前生漉奉書)
イメージサイズ240×360mm
紙サイズ280×410mm
画:つちもちしんじ
彫:柏木隆志
摺:山本駿
※作品の販売サイト「都鳥-MIYAKODORI-」





1870 – 1949年。明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。つちもちさんは、雨の銀座を描いたこの作品に思いを重ね、作品をつくっていった。

つちもちさんの「百景」は歌川広重の「江戸名所百景」がモチーフになっているとのことですが、やはり浮世絵に関わるにあたって、広重の影響は大きいのでしょうか?

そうですね。浮世絵で風景を描くものというと葛飾北斎※も人気があって、彼は構図など絵のうまさで見せる画家だと思うのですが、広重の絵はそれよりも、人々の見知った場所を描いてみせる、というところに重点があると思っていて、それがおもしろいと思っています。
※葛飾北斎=江戸時代の浮世絵師。現在の墨田区で生まれた。変わった性格をしていて、93回も引っ越しことでも有名。『富嶽三十六景』『北斎漫画』で知られ、ゴッホやモネら多くの海外の画家にも影響を与えた。

なるほど。おっと、あそこが「みかどパン」ですね。気になる木が!!!


根津駅徒歩9分のパン屋店。樹齢90年超えの「ヒマラヤ杉」がシンボルに。

そう言われてみると、つちもちさんが描かれている場所って、来てみるとちょっと楽しいところだと思います。「会いにいけるアイドル」ならぬ「行けるイラスト」ですよ。それも「日本で一番」とかではない、ちょっと居心地がいい、という感じがします。

(笑)楽しんでいただけたら幸いです。

次はカヤバ珈琲です。すぐ近所ですね。合わせて観光する人が多いんですってね。


大正5年築の古民家をリフォームした喫茶店。コーヒーとココアをブレンドした「ルシアン」や、厚焼き玉子サンドなど、熱烈なファンが多い名店。

このあたりの風景はだいぶ初期に描いていたんですよね。やっぱり、懐かしいなぁ。

次が最後の目的地です。ここまで回ってきましたが、題材選びについて改めて、ある種のはずしかたがおもしろく感じられました。

題材は、やっぱり生活感のあるものが好きですね。広重の絵に「深川万年橋」というのがあって、それには放生会※という儀式に使われるものとされる亀が描かれているのですが、そのくらいの身近さに惹かれます。
※放生会=江戸時代に行われた、鳥や魚、亀を放し、死者の冥福と自身の後世を祈る行事。

万年生きるといわれている亀と、萬年橋の「萬」がかかっている。亀は放生会で放されようとしているところ。

その時代の風俗が残されるということでしょうか。今つちもちさんが描いているものを後年の人が見て、おもしろがっているのを想像すると、不思議とわくわくした気持ちになります。


都立霊園。徳川慶喜、横山大観、渋沢栄一などの墓がある。幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった五重塔の跡も。桜の名所としても知られている。

百景も描いていると、だいぶ絵柄が変化してきませんか?本を見た印象なのですが。

自分としては、いろいろと実験をしていた気持ちですね。パステルにしてみたり、浮世絵っぽく背景をグラデーションにしてみたり。

いろいろな方法で描いていらっしゃるのに、色味がどれも本当にきれいですよね。これが版画になるとどのようになるのか楽しみです。

今すすめているプロジェクトでは、版木をレーザーで彫るというアイデアが出ています。そうすると描線が細かく出るのですが、賛否あるかもしれないですね。摺りは伝統工芸師さんにしていただきました。

木版印刷の方法から、あたらしく考えているような状況なのですね。

自分のイラストレーションの着地点としての浮世絵、ということもあるのですが、これで浮世絵を出版するシステムが再確立されて、後につづく人に残せたらいいなという思いもあります。

つちもちさんが、積極的に「イラスト」っぽい世界には入らないけれども「イラストレーター」の看板もかかげてきた結果として、漫画をベースにしたイラストが伝統の流れを汲んだ木版画になるというのは、偶然かもしれないけれど、意義のあることのように感じています。それって逆に、イラストレーションの世界に漫画も木版画の伝統ももちこんでしまったということではないのですか。

そこまで言えるかは分からないですが(笑)いままでやってきたことを、浮世絵というかたちで結実できたらうれしいです。

今日はありがとうございました。谷根千そぞろ歩き、完歩です!

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