Still Got the Groove / Wataru Umeda

LIVE

この記事は約6分で読めます by 常松心平

映像作家・フォトグラファーの梅田航さんのインタビュー第2回。今回は、梅田さんが、ライブの撮影をするようになったきっかけをうかがいました。実績ゼロから、多くのアーティストの撮影をするまで、どうやってたどり着いたのか? 知られざる梅田航のヒストリーです。

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Still Got the Groove / Wataru Umeda

YOUTH

梅田 航(うめだわたる)
映像作家・フォトグラファー。千葉県生まれ。高校生時代にパンクの洗礼を受ける。日大芸術学部写真学科卒業後、ライブの模様やミュージシャンのアーティスト写真を撮影するフォトグラファーに。その後、WRENCHのマネージャーを勤め、再びフリーランスのフォトグラファーに。2018年『SOUNDS LIKE SHIT: the story of Hi-STANDARD』映画監督デビュー。
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※梅田航さんのインタビュー連載の写真は、2019年に行われた『SHIBUYA全感覚祭-Human Rebelion-』と、KEMURI「SKA BRAVO TOUR 2019」で撮影されたものに加え、©Wataru Umedaとある梅田さんの作品を掲載。

ライブのフォトグラファーの道へ

前回、日芸の写真学科に行って、課題はちゃんとやっていたという意外な側面を披露して終わったんだけど(笑)日芸を卒業した後はどうしたの?

心平

卒業してすぐのころは何をしたいのかわからなくて、バイトしてパチンコっていうだらしない生活してましたね。映画をつくろうとも思ってたんですけど、なかなかメンツも集まらなくて。

梅田

結局映画はつくらなくなっていったんだ。

心平

そのときに「俺が独りでもできることってなんだ?」って考えて、やっぱ写真しかないなって思ったんですよ。

梅田
©Wataru Umeda

なるほど。そこからフォトグラファーとしての道を歩みだしたんだね。初めはどうやって仕事を見つけたの?

心平

もちろん最初はキャリアも何もないんで、作品づくりからはじめましたね。当時、自分もバンドやってたんですけど、知り合いのバンドのライブで写真を撮りはじめたんですよ。

梅田

そうなんだ。有名なバンドとかも撮ってたの?

心平

当時撮ってたバンドで有名な人たちはいませんでした。ただ、高校の友達がハイスタのローディー※をすることになって、そのつながりでハイスタの写真は撮らせてもらいましたね。

梅田

※ミュージシャンに同行して楽器の手配や積み込み、メンテナンスなどを行う人のこと。

すごいじゃん。ライブツアーにくっついて写真とるって感じ?

心平

いや、全然そんなんじゃなくて、こっちから「こういうものなんですけど、写真撮らしてください」ってお願いしてライブにお邪魔して撮らしてもらってました。

梅田

じゃあギャラをもらえるわけじゃないんだね。でも自分の作品としてハイスタ撮れるなら全然いいよね。

心平

ギャラもらえるなんて思ってませんでしたしね。そんな感じでいろんなバンドの写真をいっぱい撮って作品をためてって感じで1年ぐらいたった頃から、音楽雑誌の編集部に電話して営業しました、「ちょっと写真見てもらいたいんですけどお時間いただけますか」って感じで。それで、なんとかフォトグラファーとして最初の仕事もらえました。

梅田
©Wataru Umeda

初めての仕事はなんだったの?

心平

高円寺にある20000V(現在は二万電圧)っていうライブハウスで『DOLL MAGAZINE』の撮影でした。エントランスで雑誌の名前言うと通してくれて、「うわぁタダだよタダ!」って感動して。当たり前なんすけどね(笑)。で、前列でバシバシ撮りまくりました。初めての仕事で掲載するサイズも見開き1/4ぐらいのちっさいサイズだったんですけど、ちゃんと自分の名前が出てですごい嬉しかったですね。

梅田

いいね〜、それでお金までももらえて。

心平

そうですね、5000円いただきました。まあ当時はフィルムだったんで、現像代・フィルム代・交通費込みだったんで全然残んなかったんですけど(笑)。

梅田

むしろマイナス(笑)。

心平

WRENCHのマネージャーに

でも、初めてフォトグラファーとして仕事をして手応えがあった?

心平

手応えというか、これしかないって思いましたね。それからはいろんなバンドをひたすら撮りまくりました。そうしてたら、あるレーベルの社長と知り合って「うちの事務所人手足りないから手伝ってくれないかな、写真撮りながらでいいからさ」って言われたんすよ。音楽業界には元々興味があったんで、じゃあお願いしますっつって。気がついたらWRENCH※っていうバンドのマネージャーになってました(笑)。

梅田

※WRENCH=1992年に結成された4人組ロックバンド。ミクスチャーロックの影響を受けつつ、独自の音楽性を確立。日本を代表するラウド・ミュージックのバンドとなる。2019年には、オリジナル・フル・アルバムとしては12年ぶりに『weak』をリリースし、健在ぶりを見せつけた。

マネージャーとかすごい大変じゃん。写真撮る時間なんてあったの?

心平

もちろんなかったっすよ。最初はアーティスト写真、いわゆるアー写とかとってたんですけど、外注するほうが効率よくて、それからほとんど撮らなくなりましたね。

梅田

だよね、どうやって仕事覚えていったの?

心平

先輩の別のバンドのマネージャーについてまわって仕事を覚えるって感じでしたね。最初の仕事は運転手としてギターウルフのツアーに同行して1ヶ月半くらい一緒にまわりました。

梅田

いいね、すごいたいへんそうだけど、元バンド少年としては、ちょっと憧れちゃう。

心平

そうっすね、マネージャーの仕事自体は楽しかったですよ。

梅田

何年くらい働いてたの?

心平

たぶん28歳くらいまでやってたので、5、6年くらいですね。最後はやっぱり写真をやりたいって思いが強くなって辞めました。

梅田
©Wataru Umeda

でも、またフォトグラファーとしてやっていくにしても、最初は収入はないわけだよね?

心平

はい。なので、またバイトしつつ作品を撮りためてっていう感じではじめました。ただ、すぐにバイトは辞めました。プロとしてやっていくんだったら写真以外で金を稼ぐのはやめようと思って。

梅田

不退転の決意だね。

心平

とにかく頑張ろうって思って必死でした。マネージャーやってたツテも活用しながらいろんなバンドを撮るようになってギリギリだけどなんとか食っていける感じにはなってましたね。

梅田

そのときはハイスタは活動してなかったよね? RIZEを撮ってたのは知ってたけど、ほかはどういう人を撮ってたの?

心平

ほんといろんな人を撮ってましたよ、シアターブルックの佐藤タイジさんとか、ドラマーの沼澤尚さんとか撮らせていただきました。海外アーティストも撮ってました。

梅田

そうなんだ。そういえば昔六本木ヒルズでやってた梅ちゃんの個展『PIECES OF THE GROOVE』で佐藤タイジさんがライブやっていて、そのときすごい衝撃受けたよ。写真がめっちゃカッコいいし、被写体には、ぼくが好きなミュージシャンがいっぱいいたし、「梅ちゃん結果出している!」って。

心平

自分的には成功したとは思わなかったですけどね。あれはもう自分のまわりにいる人に助けてもらってできたって感じです。作品も、今見たら「お前よくこれでやってたな」っていう写真もありましたし(笑)。でも、自分が撮ったものを見てもらっていいねって言ってくれたり気に入ってくれて仕事くれたりした人もいたので、それでフォトグラファーとしての自信がつきました。

梅田

もうそのままずーっと音楽の写真一本で行くのかと思ったけど、その後もいろいろな時期があるんだよね。次回はハワイ編です!

心平
©Wataru Umeda
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CREDIT

クレジット

聞き手
303 BOOKS(株式会社オフィス303)代表取締役。千葉県千葉市の埋めたて地出身。バイク雑誌、パズル雑誌を経て、児童書の編集者になる。本は読むものではなく、つくるものだと思っている。
構成
株式会社オフィス303の元社員。黒豆で有名な兵庫県丹波篠山市出身。2017年に日本を飛び出して1年ほどラテンアメリカ諸国を行脚する。現在はライターやフリー翻訳者として働きながら超低空飛行で生き延びる。
撮影
千葉県千葉市美浜区出身。ゴースト・オブ・ツシマにはまってます。パンダが好き。
撮影
某研究学園都市生まれ。音楽と東京ヤクルトスワローズが好き。最近は「ヴィブラフォンの入ったレアグルーヴ」というジャンルを集めて聴いている。