Kバレエカンパニーの顏として長年プリンシパルを務めたのち、現在はスクール生やダンサーを指導する立場で活躍する浅川紫織さん。今回は第1話に続き、熊川哲也ディレクターとの出会いから、その教え、引退に至る決意などについて、お話をうかがいます。
ダンサーはどうやって物語を描くのか? Kバレエカンパニー・浅川紫織インタビュー
ダンサーにとっての役作り
浅川紫織(あさかわしおり)
長野県生まれ。4歳よりバレエを始める。2001年、ローザンヌ国際バレエ・コンクールセミファイナリスト。同年、イングリッシュ・ナショナル・バレエスクールに留学。
2003年4月、Kバレエカンパニーに入団。2006年9月ジュニア・ソリスト、2007年9月ソリスト、12月ファースト・ソリスト、2008年12月プリンシパル・ソリスト、2014年1月プリンシパルに昇格。20年11月舞踊監督補佐に就任。主な出演作は、『シンデレラ』のタイトルロール/仙女、『ロミオとジュリエット』のジュリエット/ロザライン、『ジゼル』のタイトルロール/ミルタ、『ラ・バヤデール』のニキヤ/ガムザッティ、『カルメン』のタイトルロール、『海賊』のメドーラ/グルナーラ、『くるみ割り人形』のマリー姫/雪の女王、『ドン・キホーテ』のキトリ/メルセデス/森の女王/ドルシネア姫、『コッペリア』の祈り/ジプシー、『白鳥の湖』のオデット/オディール、『眠れる森の美女』のオーロラ姫/リラの精、『カルメン』のタイトルロール、熊川振付『ベートーヴェン第九』第3楽章主演、『Fruits de la passion』、プティ振付『アルルの女』、バランシン振付『放蕩息子』のサイレーン、『セレナーデ』、『シンフォニー・イン・C』第2、4楽章主演、アシュトン振付『ラプソディ』、『真夏の夜の夢』のハーミア、『レ・パティヌール』のホワイトカップル、『パキータ』主演、長島裕輔振付『Evolve』など。Kバレエスクールティーチャーズ・トレーニングコース修了。同校にて教師を務める。
イギリス留学中に出会う
熊川ディレクターとは、イギリスにいらっしゃったときに出会ったんですよね?
そうです。私はまだイギリスでバレエ学校の生徒だったのですが、『白鳥の湖』の初演を制作中で、それに出るダンサーを探しているから、Kバレエカンパニーに来ないかというお話をいただいて。
そのときはまだ17歳でしたっけ?
熊川ディレクターにお会いしたのは確か17歳でした。入団したのは18歳です。
かなり、大きな決断だったわけですね。
そうですね。イギリスで学んでそのまま海外でプロになることを目指していたので、日本に帰るという考えはなかったんです。だから、突然そのようなお話をいただいてびっくりしました。もちろん熊川ディレクターのことも、Kバレエカンパニーも以前からよく知っていました。そして、よく考えた結果、これはチャンスだと思って、帰国を決意したんです。
Kバレエカンパニーに入るまでに出会った先生から「こういう風に役を自分でとらえるんだよ」という話はあったんですか?
いろいろなタイプの先生がいますが、そこまで教えてくれる先生もいれば、バレエの形やテクニックを徹底的に教える先生もいます。私が出会った先生は、とにかく技術を厳しく教えてくれました。役柄や全幕のストーリーの深いところを学んだのはKバレエカンパニーに入って全幕バレエを踊るようになってからです。
熊川ディレクターは作品への理解や研究などをダンサーの方に求める指導方針だったんですか?
私は22歳でプリンシパルに昇格したのですが、若くてあまり経験もアイデアもなかったので、1から10まで教えていただきました。
なるほど。
ただ、年齢と年数を重ねてくると同じ役柄を何回も踊る機会があるんですね。そういうときはある程度個人に任せてくれます。それぞれの個性や解釈を大事にしてくださる指導だったと思います。
厳しく育てられたから強くなれた
若くして主役をやるのは、相当なプレッシャーですよね。
熊川ディレクターには、本当に厳しく育てていただきました。初めて主役をいただいたときも「相当がんばらないと」というプレッシャーはものすごく感じていました。
ダンサーはそれを乗り越え、やり切って、また次の役を得て、というのをどんどん繰り返すわけですね。
熊川ディレクターは「この子は耐えられるか? 耐えられないか?」というのを鋭く見極めているのだと思います。だからこそ、厳しい指導を受けながらダンサーとしてはさらに高みを目指して行くことができます。
なるほど。今、浅川先生は演出など、ゼロから振り付けを考える仕事もされてるんですか?
Kバレエカンパニーでは主に既存の作品を指導しています。熊川ディレクターがつくる作品にアシスタントとして入ることはありますが、自分だけで新しい作品をつくることは、今のところはないです。
そういう指導の部分と演出家の仕事の部分も今後増やしていきたいって思ってらっしゃるんですか?
スクールの生徒が踊る作品の振り付けは経験がありますが、全幕バレエとなると、やりたいという気持ちだけではどうにもならない。熊川ディレクターくらいの圧倒的な想像力や、それを具現化するテクニック、細かいディテールを描き出すセンスなど様々な才能を持ち合わせないと難しいと思います。
今すぐには難しいという感じですか?
Kバレエカンパニーの作品のクリエーションは、今の私にはまだ少しハードルが高いですね。
迷惑をかけたくなくて引退を決めた
大ケガをされたときに「自分は、今日ここで壊れて踊れなくなっても構わないけど、もしそういうことになったら公演が続けられなくて、ダンサーやスタッフ、すべての人に迷惑をかけてしまうと思った」というお話がありましたよね。
はい、それが引退を決めた理由のひとつでした。進行していくケガだったので、だんだんできないことが増えてきて、まわりにも気を遣わせるようになって。それまでは意地とプライドで続けてきましたが、もしも明日踊れないとなったときにとんでもない迷惑をかける。それが現実的になって、引退を考えるようになりました。
自分が第一線から身を引くことが一番責任を果たすことだと思ったんですね。このままじゃ無理すると、公演の途中でパンクする可能性がありうる状態まできてしまったと。
そうですね。自分がよくても結局お客様にとってはそんなことは関係ない。いい舞台を見るためにお金を払って来てくださっているわけですから、私が裏で苦しんでいようが、前日まで歩けなかろうが最高のものを求めている。直前まで足の不調で満足にリハーサルができない状態で舞台に立つ事が増えて来た時から引退を考えていました。
なるほど。そういう苦労があるっていうのは舞台だけ見てたら一般の方はわからないですよね。
そういった事情はお客様に見せるべきでないことだと思っています。
(次回は指導者としての浅川先生の実像に迫ります)