JUNE PRIDE “結婚”はだれのもの?

この記事は約7分で読めます by 酒井かおる

「結婚」という言葉から、どんなことを思い浮かべますか。きっと人によってさまざまだと思います。そして、今の日本には、世界の多くの国で認められていながら、いまだに法的に認められていない「結婚」があります。

上記写真:PayaMona / PIXTA

パートナーシップ制度と同性婚

6月7日、東京都議会がパートナーシップ制度創設を求める請願を全会一致で採択したというニュースが流れました。パートナーシップ制度とは、同性のカップルを「婚姻に準ずる関係」として、自治体などが公的に認める制度です。2015年11月に渋谷区で初めて条例がつくられたことに始まり、2021年4月1日、全国で導入する自治体が100件に、その後もふえ続けています。

では、なぜ、こうした制度が必要なのでしょうか。一言でいってしまえば、日本の法律では同性婚が認められていないからです。結婚は愛し合う二人のものであると当時に、法的な制度でもあります。結婚することで、たとえば共同で家を借りたり、買ったり、社宅に入ったり、相手が病気や怪我をしたとき面会できたり、病状の説明を受けたり、手術に同意したり、相手を受取人に保険に入ったり、家族割引のサービスを受けたり、遺産を相続したりといったことができるようになります。逆にいえば、法的な婚姻ができない同性カップルには、こうした結婚に伴う権利や身分の保証がない状態です。そのため、自治体や企業がそれを少しでも補う制度を導入しています。

同性婚と憲法

では、なぜ、日本では同性婚が認められていないのでしょうか。2019年、13組の同性カップルが、それぞれ、札幌、東京、名古屋、大阪の地裁に「同性婚を認めないのは憲法違反」と訴え、国を相手に裁判を起こしました。そして2021年3月、札幌で最初の判決がでました。その判決文を読んでみました。

まず原告の訴えです。同性婚を認めていない民法や戸籍法の規定は憲法13条、14条の1項、24条に反している。(以下その条文です)。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

こうした憲法に違反している状態にもかかわらず、法の整備などを行わないことで、「結婚の自由」を侵害され、苦痛を味わっている。このため、国家賠償法によって国に対して慰謝料を請求する。(以下その条文です)

第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

判決からいうと、札幌地裁は、慰謝料の請求を棄却しました。裁判としては、国の勝訴という形になります。また地裁は、同性婚を認めないことが、13条、24条に反するとも認めませんでした。ただし、14条に反することは認めました。このため、「同性婚を認めないのは憲法違反」という日本初の判決となったのです。

同性婚を認めないことは差別

判決では、性的指向について、以下のように述べています。

  • 性的指向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で、人に対して魅力を感じることであり、このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛、同性に対して向くことが同性愛である。
  • 精神医学に関わる大部分の専門家団体は、ほとんどの人の場合、性的指向は、人生の初期か出生前に決定され、選択するものではないとしており、心理学の主たる見解も,性的指向は意思で選ぶものでも,意思により変えられるものでもないとしている。
  • 性的指向は自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ、性別、人種などと同様のものであるといえる。

その上で、性的指向のような「人の意思によって選択・変更できない事柄」により、異性愛者が受けることができる「婚姻によって生じる法的効果」(結婚によって得られる法的な身分や保護)を受けられないことは、「合理的根拠を欠く差別取り扱いに当たる」と結論づけています。

結婚とはだれのものか

この判決には、明治時代・憲法が制定された時代の同性愛や婚姻に関する人々の意識や法律がつくられた背景、また、それとは大幅に変化している、現代の同性愛や結婚に対する意識(いくつもの統計やアンケート結果なども引用されています)、諸外国の事例などが取り上げられていて、ちょっと読みにくい部分はありますが、いろいろと考えさせられるものがありました。

https://www.call4.jp/file/pdf/202103/533e3260db61a96e84711d1f0c02d5d6.pdf

判決によると、明治民法がつくられるとき「子をつくる能力を持たない男女であっても婚姻をすることができるか」という議論があったそうです。「子をつくる能力がない男女は、婚姻の材料を欠き、その目的を達し得ないから婚姻し得ない」という見解があった一方で、それに対し「婚姻とは両者の和合にその本質があり、子をつくる能力は婚姻に必要不可欠の条件ではない」という反論がありました。

結果として明治時代であっても「婚姻とは、男女が夫婦の共同生活を送ることであり、必ずしも子を得ることを目的とせず、又は子を残すことのみが目的ではない」という考えが確立されたということです。この考え方の「男女」「夫婦」という部分を言いかえれば、同性婚にもあてはまると思います。

一方で、被告(国)は裁判では「同性愛者であっても、異性との間で婚姻することは可能であるから、性的指向による区別取扱いはない」と主張し、地裁から同性愛者が結婚の本質的な意味で異性と結婚することはできないので、理由にならないと退けられたり、判決に対し「婚姻制度は、子を産み育てるための共同生活をおくる関係に法的保護を与えることを目的としていて、同性婚を認めないことは、憲法14条に違反しないというのが国の立場だ」※という発言をしている人もいます。同性カップルの人たちにも、日本の今の法律では多くの困難がありますが、子どもをもちたいと願う人もいるでしょうし、異性婚のカップルでも子どもをもたない選択をしたり、もちたいと願ってもかなわない人たちもいます。異性婚であれば「子を生み育てる」とは限りませんし、明治時代ですらそれのみが結婚の目的ではないと考えられていたのに。

※出典
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210317/k10012919141000.html

結婚の自由と憲法24条

今回の判決では、憲法24条については、違憲とは認められませんでした。これは、憲法がつくられた当時の同性愛に対する人々の意識や、「両性」「夫婦」といった言葉から、異性婚についての記述と判断されたからです。

ですが、憲法第9条でよく知られるように、憲法や法律、条文については後の時代に合わせた「解釈」があります。「両性」を「異なる2つ性」ととらえるのではなく、「2つの独立した性」とする考え方もあります。性には、戸籍上の性、生物学上の性だけでなく、自分が自分をどのようにとらえているかという性自認、どのような相手に恋愛感情をもつか、もしくはもたないかという性的指向があります。こうした多様な性のあり方は、ひとつのものさしではかって線引きしたり、誰かが答えをおしつけたりするものではありません。独立した、人それぞれ、一人ひとりがもつ「性」なのです。もう一度憲法24条を引用します。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

また、24条の重要な要素は、「合意のみに基いて成立」「夫婦が同等の権利を有する」という部分にあるとも考えられています。これは、一家の長である戸主の同意を得なくては結婚できず、妻が夫の家に入るという形で夫婦の不平等の上に成り立っていた、明治民法の定めた婚姻を変革するものでした。結婚を2人の意思だけで成立する、平等な立場での結びつきとしたのです。

あらゆる性のあり方をもつ人たちが、個人と個人として、この自由な結婚の権利をもつこと。24条はそれを支えるものであってほしいと思います。そして、多様な性について知り、学ぶことがそのための一歩になるのではと考えています。

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緑の多い地域で、今年19歳になる老猫たちと暮らしています。少し体を動かそうと、たまに林や畑のなかを散歩します。家にこもる日々がつづくと、気持ち的にも内向きになりがちなので、少し窓を開けていきたいなと思っています。