引っ越しをするので、本棚の本をダンボールに詰めている。引っ越したあとのことも考えてジャンル分けをしていたら、ねこが出てくる絵本のコーナーができた。大好きなねこたちだ。ちょっとだけなら、と読みはじめて4冊目。
引っ越しの邪魔をする、ねこの絵本
『Rich Cat, Poor Cat』
幸せって、なんだろう。
『くろねこかあさん』の表紙の絵を見ながら考えている。
この本は、10年前に友だちの親戚の小さな子にさしあげた。それなのになぜ今、手元にあるのかというと、また読みたくなって、昨日、紀伊国屋書店に買いにいってしまったから。
引っ越すというのにものを増やしてしまった。代わりに底に穴があいているジョウロを捨てよう。毎朝、儀式のように洗面所からベランダへ、底に手をあて大急ぎでジョウロを運んでいたけれど、新しい部屋では、そんなことはもうしない。
『くろねこかあさん』を10年ぶりに開いて、一見開き目で泣きそうになり、自分でもおどろいた。
「くろねこかあさん あかちゃんうむよ
どんな あかちゃん うまれるのかな
どんな なきごえ してなくのかな」
これから誕生する命への、愛でいっぱいだ。幸せすぎて切ない。おなかの大きな黒ねこが、口元にほんのり笑みをたたえている。次のページにいく前に、ひとまず手を合わせておがんでおく。
二見開き目で、くろねこかあさんには、黒ねこ3匹、白ねこ3匹の合計6匹のあかちゃんが産まれる。子ねこたちは、おかあさんのおちちをのんで、お昼寝して、起きたら泣いて、遊んで、また遊んで…と、とてもにぎやか。
6つ子を育てて大変だなあと思うけれど、くろねこかあさんから大変なようすは感じられない。いつだって、ほわほわとあたたかな安心感を放っているのだ。
カポーティの小説に、こんな描写がある。
「もしも魔法使いが何か贈物をくれると言ったら、僕はあの台所にこもる笑い声だのパチパチと燃える炎の囁きの詰まった瓶、バターと砂糖のとける匂いやパンを焼く匂いで溢れそうになっている瓶がほしいと言おう。」(『草の竪琴』トルーマン・カポーティ 作 大澤 薫 訳 新潮文庫より)
『くろねこかあさん』は、記憶にはなく、実際にあったのかどうかもわからないけれど、人が共通して感じられるような、生まれたてのころの幸せな思いが詰まっている瓶ではないかと思う。
そもそも「お母さん」って、なんだろう。具体的な人物ではなく、女性でも男性でもなく、その言葉にある共通のものって、なんだろうか。
『くろねこかあさん』から感じとった思いをもとに、目をつむって、まずは「絵本」という形式をとりはらってみる。想像の中で、紙がなくなって、絵がはらはらと動く。
次に「くろねこ」をとりはらってみる。それから、口元に笑みをたたえた、くろねこかあさんの顔をとりはらってみる……むずかしい。うーんとうなりながら、極限まで「思い」だけにしていくと……白っぽくてあたたかい光を放っているものが見えた……気がする。
——コレガオ母サンノ正体カ……!
ほしいと思ったときに、その本が買えるのはありがたいことだなあ。読んでよかった。ダンボールにしまいながら、こんなペースで引っ越しの日にまにあうのかなと、ちょっと心配になったけど、くろねこかあさんがいれば安心だ。